“Ballads & Blues” 古新聞古雑誌 根掘り葉掘り・・・

  先週の“Ballads & Blues”ジャズ講座は皆が好きなあの曲、このブルース・・・正にOverSeasヒットパレードで、凄い熱気!一生もの名盤を共に聴いた仲間達の色んな感動がOverSeasの掲示板にズラリと並んでいましたね!
 講座のあった5月9日はOverSeas開店30周年記念日、時間音痴、方向音痴の私は寺井の解説を聴くまで完全に失念…、温かいお祝いメッセージ、皆様どうもありがとうございました!
 講座には、  河原達人(ds)さんや菅一平(ds)+宮本在浩(b)のメインステム・チーム、若手ドラマーImakyくんなど、ピアニスト以外のミュージシャンの顔も沢山客席に!ギグで来れなかった鷲見和広(b)さんからは「僕も行きたかった~(涙)」とメールが…。
tf_gm.jpg    パルスとメロディラインを併せ持つベーシスト、ジョージ・ムラーツは  “Ballads & Blues”以外にも、サー・ローランド・ハナやウォルター・ノリスたちと数多くデュオの名盤を残しています。胸が張り裂けそうになる高揚感が体験できるハナさんとのプレリュード集や、たった4分ほどの演奏でフランソワ・トリュフォーの濃密な恋愛映画を見たような気分にさせてくれるノリスさんとのデュオ作品…どれも心を奪われるけど、“Ballads & Blues”はまた違う。深いところでぴったり寄り添いながら、息を読み合い奔放に流れるプレイ・・・緻密な構成表を見ながら聴くと、こんなに自由で完璧な音楽があるのか!とまた感動してしまいました。
 「最高の酒は水の如し」と言うけれど“Ballads & Blues”は丁度そんな感じ。残り少ない人生、一生聴いて楽しもう。
<1978年>
  “Ballads & Blues”が録音されたのは’78年11月。’78年といえば、トミー・フラナガンが10年努めたエラ・フィッツジェラルドの許から独立した節目の年でした。理由は心臓発作で楽旅が困難になった為となっていますが、実際はどうやったんやろう?講座の前に気になって、当時の雑誌や新聞を調べてみました。
 NYタウン情報とダイアナ・フラナガン情報によれば、“Ballads & Blues”(11/15)録音直前10/16~30の2週間、フラナガンとムラーツはNY大学のそばにあるピアノ・バー、Bradley’sに出演していた。名盤のアウトラインはきっとこの2週間の間に固まったのに違いない。講座の皆で「飛ぶ教室」みたいに当時のNYにツアーすれば、さぞ面白かったでしょうね!
 ムラーツ関連では、同年2月に、サー・ローランド・ハナが新生New York Jazz Quartet結成の記事も!自己グループで活動を始めたロン・カーターに替わり新メンバー、ジョージ・ムラーツ参加とありました。コンサート情報やレコード紹介では、ズート・シムス(ts)、ボブ・ブルックマイヤー(vtb),ジミー・ロウルズ、ハナさん、フラナガンと数え切れないアーティストと共演していたみたい…34歳のムラーツ兄さんは、NYの一流ミュージシャンたちの間ですでに引っ張りだこになっていた。
<フラナガン独立の真相>
 意外だったのは、NYタイムズの電子版アーカイブに、フラナガンではなくエラ・フィッツジェラルドが病気でコンサートをキャンセルしたという記事です。
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   ’78 6/6付 NYTimes 
 『エラに大喝采!』 エラ・フィッツジェラルドは3月19日に予定していたエイブリー・フィッシャー・ホールのコンサートを病気のためキャンセルし、代替公演が先週の日曜日の夕方行われた。満員のファンの前でエラは絶好調・・・

 ダウンビートや他の書物にはフラナガンはその3月に心臓発作をおこし17日間入院したと書いてあるのに… どういうことやろ?
  ダイアナがフラナガンと結婚したのは’76年だから、その辺りの事情は知っているはず。電話して訊いてみました
<ダイアナの証言>
ダイアナ・フラナガン:  「トミーの心臓発作??ああ、最初の発作のこと?確かに’78年3月よ。あんなのぜーんぜん大したことなかったわ。
 体調を悪くしたのはエラの方だった。あの頃から糖尿病が悪くなって、予定しているコンサートをキャンセルした後、意図的に仕事を減らしたの。
 当時トミーは、エラのコンサートで、トリオだけでたっぷり演奏するようになっていた。世界中で賞賛されたけれど、それだけでは満足できず、自分の音楽をしたくてたまらなくなっていたの。だからフリーになっただけ。本当は心臓発作なんて関係ないの。もっと深刻だったのは、何年か経って大動脈瘤が出来ていると判ったときよ。あんたもよく知ってるじゃない。
 私と一緒にいたいから辞めたのかって?まさか!だって私はエラ時代も、トミーにくっついて行ってたもん。それにエラのところを辞めたってトミーは世界中を飛び回っていたわ。
 とにかく辞めるためにはエラの後任を見つけるのが先決だった。だけどエラがどうしてもトミーを引き止めたがってね、とうとう直接電話をかけてきたの。「トミー、あなたどうしてもジャズに戻っちゃうの?」って。すったもんだの末、結局ジミー・ロウルズ(p)に決まったのよ。え?トミーとタイプが違うって?いいのよ!伴奏者は決まった仕事をきっちりすればいいの。ジミーならうってつけだからね。
 へえー!”Ballads & Blues”のレクチュアが予約で満員なの!?すごいわねえ!そうそう、この間のトリビュート・コンサートの写真ありがとう。部屋に飾って楽しんでるわよ!
 だけどタマエ、あんた、私が忘れていることを根掘り葉掘り訊いて一体どうするつもり?トミーの伝記でも書くつもりなの?…」
 エラの専属ピアニストとしてのフラナガンの最後のNY公演は、同年のニューポート・ジャズフェスティバル、やはりエイブリー・フィッシャーホールだったともダイアナは言っていました。
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 『エラ・フィッツジェラルド、エンジェル・アイズで大成功!』
 タイムズ紙のジョン・ウィルソンは、フラナガンとの最後の大舞台でエラが歌った”エンジェル・アイズ”を絶賛しています。後年トミー・フラナガンがエラに捧げたアルバム『Lady Be Good』の”エンジェル・アイズ”は、きっとラスト・コンサートの思い出なんだ!
 トミー・フラナガンがエラの許から独立したというインタビューがジャズ専門誌ダウンビートに載ったのは、本当の独立から4年後で、遅ればせもいいところ。レコード会社の広告収入が大事なジャズ誌は、フリーランスのフラナガンの記事はなかなか書いてくれなかった。
 逆にNYのメディアは、速攻でフラナガン独立のニュースを報じていた。
flanaganleft.jpgNYタイムズ ’78 11/24付 :当面フラナガンはカーライル・ホテルのベメルマンズ・バーで演奏すると書いているけど、実際はごく短期の仕事だったとダイアナは言っていた。
<ホイットニー・バリエットの記事>
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 私の愛するホイットニー・バリエットは珍しく自分のコラムをフラナガンだけに絞り込み、さりげなく後方支援していました。(The NewYorker 11/20号)
 『Tommy Flanagan』というシンプルなタイトルのコラムは、『American MusiciansⅡ』の中の名文<Poet>の原型で、フラナガンの人となりをうまく描き上げてから、フラナガンの独立を「良いニュース」とだけさらりと書いてある。趣味の良い音楽を愛する読者だったら、ぜひ一度聴きに行きたいと思うような粋な書きっぷりです。
 秀逸なのはコラムの最後のアルバム紹介。フラナガンが初期に録音したサイドマンとしての有名盤については一切語らず、『Eclypso』『Montreaux ’77』『Tokyo Recital』などアメリカのジャズ誌ではマイナー・レーベル作品として、長い間正当に評価されなかった新譜のリーダー作ばかりズラリと並べて絶賛しています。この辺りが超一流文芸誌The NewYorkerの面目躍如!
 バリエットのコラムは、フラナガンが「珠玉のピアニスト』から『ダイアモンドのピアニスト』に変貌したことを宣言して結ばれていました。

…『Montreaux ’77』もまた秀作、リラックスした雰囲気のある”イージー・リヴィング”はフラナガンの愛奏曲、イン・テンポに落ち着いた時、彼が繰り出す高音部の縦横無尽のランは、光を反射しながらきらめいて、まるでダイアモンドのようだ。


 来月のジャズ講座は、これほどの名盤が聴けるかどうかは判りませんが、色んな話や音源が聴けて、きっと面白いプログラムになるはずです!
 明日はBop & Bluesの末宗俊郎(g)3、そして旬の曲が楽しめる土曜日のThe Mainstemもお楽しみに!
CU

「“Ballads & Blues” 古新聞古雑誌 根掘り葉掘り・・・」への4件のフィードバック

  1. こんばんは。
    珠重先輩のこのウェブログを読む度、エズラ・パウンズの「叙述の根本的な正確さ、それこそが文章における唯一無二の道義である」という言葉を思い出します。ほかにそんなウェブログを探すためには虫眼鏡が必要なのは僕だけでしょうか?
    ジャズを聴くために、絶対美についての議論をおいておき、フェノメーンを持ち出す、そんなものがはびこりつつあるような気がするのですが、そんなのはどう考えてもジャズを言葉にする「道義」を果たしていない、と思います。それ以前に、何も語っていない。
    「歴史学」の最初二文字を大切にされている珠重先輩に感謝します。

  2.  昨今、「ご先祖様」とアイコン化している巨匠からコメントを頂戴し五体投地の心境です。
     エズラ・パウンドと聞くだけで未だに軽い偏頭痛を覚えます。私は『学』はないし、古新聞古雑誌大好きなだけなのですんません。これから少しでも巨匠河原の美学に近づけるように精進したいと思います。
     22日のフラナガニア3は、生体験初のお客様も沢山来られますので、私も襟を正してがんばります。
    またお立ち寄りください。
    サンキュー!
     

  3. ご無沙汰しております。
    皆さまお元気でいらっしゃいますでしょうか?
    私は息も絶え絶えながら何とか生きております。
    珠重さんの知性溢れるこのブログをいつも楽しく、また興味深く拝読させて頂いております。
    先月ひょんな事からご先祖様と1曲お手合わせ頂く機会があり、美しい音色と「これぞジャズ!」というプレイに心の中で感涙に咽いだものでした。22日のリユニオン出来る事ならば駆け付けたいものです。
    来月仕事で京都にお伺いします、時間が割けるものであればと思っていますが現時点では難しい状態です。お伺い出来る時にはご連絡差し上げますね。皆さまにどうぞ宜しくお伝え下さい。お邪魔致しました。

  4.  熊本のダグ・ワトキンスさま!ご無沙汰してます。
     先日河原さんから、ご一緒させていただいたこと承っていました!彼も「仕事で引っ張りだこという実力を実感した。」と古荘さんを絶賛してましたよ。
      昔は熊本で朝まで一緒に宴会していたのに、「知性溢れる」って言われるとイタいなあ・・・
       京都にお越しの際、お時間あればぜひぜひうちで弾いて欲しいです。寺井尚之ともども楽しみにしています。また機会があればぜひ熊本で共演したいと言ってますのでよろしくお願いします!

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