関西JAZZの顔:西山満さんを悼む

 関西ジャズを代表するベーシスト、ジャズクラブSUBのオーナー、西山満さんが昨日未明逝去されました。心よりご冥福をお祈りします。
 最近はお酒も煙草も止められてすこぶるお元気と伺っていました。脳梗塞で緊急入院されたというニュースが飛び込んできたのが、つい一週間前のことです。始めたばかりのFace Bookで西山さんを見つけて、ご挨拶を交わした直後でした。
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’89年、左から西山さん(b)寺井尚之(p)ミッキー・ロカー氏(ds)、OverSeasにて
 学生時代は客席でそのプレイを聴き、OverSeasでは、何度も寺井との共演を聴かせていただいた。西山さんのベースは熱くて黒く、強いパルスで、ひとたびツボにはまると、最高のビバップになりました。
 西山さんはプロモーターとして、アーティストを単身招聘するケースが多く、関西のミュージシャンに「共演」という宝を与えてくださった。上の写真は単身で来たミッキー・ロカー(ds)と西山さんに、末宗俊郎(g)を加えてライブした時のもの、寺井はミッキーさんに「お前はバッパーや!」と言われたことを今でも誇りにしている。私がInterludeを始めた頃に書いたビリー・ハーパー(ts)達のエピソードも西山さんからもたらされた忘れがたい思い出です。
 西山さんは、米国のジャズメン達にはNISHIという名前で愛されました。レイ・ブラウン(b)、ソニー・ロリンズ(ts)、クインシー・ジョーンズ、アート・ブレイキー(ds)…NISHIとSUBを愛した巨匠の名前を挙げるうちに日が暮れてしまいます。若手ジャズメンは初めて大阪に来たらNISHIに挨拶に行くのが不文律。フランクでフレンドリー、少しエキセントリックだけどナイーブなお人柄、4文字英語力は、ラッパーなんか足元にも及ばない、日本では右に出るものなし!黒人同士でしか使わない言葉遣いを駆使し、あっという間に「ブラザー」のコミュニュケーションを作り上げる天才。国内でも同様に、圧倒的なカリスマ性で自治体にジャズの意義を納得させ大イベントを数多くプロモートされました。
 大先輩でありながら、寺井尚之をいつも「さん」付けでリスペクトしてくださったけど、怒るとコワかった。西山さんが師と仰ぐレイ・ブラウン(b)オールスターズ(スタンレイ・タレンタイン、ジーン・ハリス、ミッキー・ロカー)のコンサートを聴きに行った時のこと。寺井と早くから前売りで一等席を買って陣取っていたのですが、予想外に席が埋まっていなかった。開演前に西山さんがステージにツカツカと出て来て、客席に向って怒りを爆発された。
 「こんな偉い人のコンサートやのに、客こんだけか!!!ええ加減にせい!何や思とんねん!!」そして寺井を発見し「おう!あんたか!!」って手を揚げられたので、思わず「すみません。」って…。納得できない事物にはBlow Up! 怒れる西山さんはチャーリー・ミンガスみたいだった。
 やがて、ロマンスグレーで上品な紳士の風貌になられたけれど、「ゆとり教育」時代に、「音楽は一生かかって学び取るもんや」と、若手に厳しく指導できる数少ない先生であり続けた。業界人やクラブオーナーである前にミュージシャン、心の底からビバップ、ひいてはジャズを愛した方だったと思います。
 今朝SUBにお別れに伺った時、棺の中にパノニカ男爵夫人の「Three Wishes」がそっと置かれていました。ジャズを愛して人生をビバップのように疾走した西山さんの「三つの願い」は何だったのでしょう?こんなとき、西山さんだったら何とおっしゃったろう?
 最後に西山さんのブログから、ジャズについての名言を。
 ジャズ音楽は礼に始まり礼に終わる。偉大なジャズ音楽家は自分に対する礼儀、 他に対する礼儀、全て心得ておりその上で厳しい自己練磨を課す。
 だから聴く人の心を打つんです。いい加減な気持ちでやる音楽はジャズと言いません。

 西山さん、どうぞ安らかに。本当にお世話になりました。
 SO MANY THANKS、 GOD BLESS NISHI!!!

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