毎月第二土曜日に開催している「トミー・フラナガンの足跡を辿る」も、いよいよ終盤、5月と6月に登場したテナーサックス奏者、ベニー・ウォレスのワン・ホーン・アルバム、『Bennie Wallace』(’98)がとても印象に残りました。フラナガン68才、この時期、トミー・フラナガンをゲストに迎えて録音したアルバムには、どれも「尊敬するトミーと共演できて良かった。」というリーダーのコメントが出るのですが、それが、どのくらいの「尊敬」なのかは千差万別。「ジャイアント馬場を尊敬してる。」と言っても、私と寺井尚之では、言葉の深さも、必殺技の理解も雲泥の差。でも『Bennie Wallace』を聴いていると、「この人、フラナガンのことが好きなんだ…」ということがヒシヒシと伝わって来て、気持ちが洗われます。
ベニー・ウォレスは、この作品の18年前にも、『Free Will』でも、フラナガンと共演していますが、その時は、ソニー・ロリンズとジョン・コルトレーンとアーチ―・シェップを足して三で割ったような印象だし、山下洋輔(p)さんとの共演盤など、アヴァンギャルドなイメージが強いですね。でも、フラナガン夫妻が口をそろえて「あの子は良い子だ。」と誉めていたし、興味をそそられて、フラナガンへの想いを直接質問してみました。
ベニー・ウォレスは1946年生まれ、南部のテネシー州出身、中学時代からジャズが大好き、白人には危険区域と言われる黒人地区のクラブに入り浸り、セッションを重ね、黒人のミュージシャンたちに可愛がられたというのは、ペッパー・アダムスと似ています。大学入学前にすでにプロとして活動。テネシー州立大卒業後はNYでモンティ・アレキサンダーなどと共演。エリック・ドルフィーやオーネット・コールマン以来の逸材と絶賛されました。
80年代から、映画音楽に携わり、ポール・ニューマン主演の『Blaze』、『ハード・プレイ』、その他多くのTVドラマなど、数々の音楽を担当。『ハード・プレイ』では、トミー・フラナガンとアレサ・フランクリンのコラボを実現し、短編作品、『Little Surprize』ではオスカーにノミネートされるなど非凡なキャリアを築きます。
ウォレスさんは、映画音楽とジャズの仕事の二足のわらじがディレンマどころか、相乗効果をもたらすという幸運な人。昔懐かしいアニメ、ベティさんこと“Betty Boop”のリメイクで一緒に仕事をしたジミー・ロウルズ(p)から、多くを学んだそうです。それ以来演奏解釈が一変。ひたすら歌詞を覚え、歌う作業を繰り返してからテナーで演奏するようになったと言います。フラナガンの真価を掴んだきっかけは、ロウルズだったのかもしれません。
フラナガンのどんな所が好きなのか? それは、ピアノのタッチ、そしてハーモニーのセンスだと彼は言います。このアルバムではフラナガンが愛して止まなかったエリントン―ストレイホーン作品が何曲か収録されていますが、それについて大変興味深い意見をメールしてくれました。
「トミーは私のヒーローであり師であり、大好きなピアニストです。多くを学び、ライブに感動し、今もレコードを愛聴しています。
彼は完璧な伴奏者ですが、勿論、それ以上の人です。例えばトミーの”Sunset And The Mockingbird”と、エリントン楽団の演奏を聴き比べてみてください。エリントンですら創造し得なかったハーモニーを実現していますよね。」
「録音前に、”Prelude To A Kiss”(エリントン作) のコード進行を打ち合わせるためにトミーのアパートに行ったときのことです。彼は、むかし自分がエリントン楽団でこの曲を聴いたという話をしてくれました。サビのメロディの各音に、それぞれ違うクロマチック・コードが付いて演奏されていたのだそうです。トミーは感動して、家に帰ると、すぐさまピアノに向かって、そのサウンドを思い出しながら、辿って行ったんだと言うんです。その話をしながら、実際にハーモニーの変化を弾いてみせてくれました!
音楽的記憶を再生するプロセスは、単なるレコードのコピーより、はるかにクリエイティブな行為なんだと、僕は感動しました。
トミーはエリントンのアイデアに、自分自身の創意工夫を重ね、更にすごい音楽を構築した。僕はその姿を目の当たりにしたのです。
それから、ダイアナが現れ一曲トミーの伴奏で歌ってくれました。彼女はすごく上手だった!」
何食わぬ顔でピアノを弾いているトミーと、奇跡を観た少年のように、目をまん丸にして、茫然とするウォレスさん、NYアッパー・ウエストサイドのピアノ・ルームの情景が目に浮かびます。寺井尚之も私も、同じように、フラナガンのアンビリーバブルな創造行為を何度か目のあたりにしていますから、とても共感が持てました。
映画音楽家としてのウォレスさんは、トミー・フラナガンとソウルの女王、アレサ・フランクリンの共演を実現させた功労者です。彼を映画界に引っ張ったロン・シェルトン監督作品、『ハードプレイ(White Men Can’t Jump) 』は、、ストリートバスケットを通じて、人種の軋轢や男のロマンを描く快作です。その劇中歌として、”If I Lose (もしも私が負けたなら)”というきれいなバラードを作詞作曲、編曲、この1曲のためだけに、フラナガンをラガーディアから飛行機に乗せ、デトロイトのスタジオで録音、グラディ・テイト(ds)やウォレス自身もテナーで参加し、何時間もかけて録音したそうです。
アレサ・フランクリンはデトロイト出身、なんと高校までフラナガンと同じノーザン・ハイスクール出身で、この後、NYのカフェ・カーライルで共演したそうです。聴きたかった!
なお、このコラボは、8月の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」に登場する予定。
他にも色々と、フラナガンへの想いを何通かのメールに分けて教えてくださったウォレスさん、現在はコネチカット在住、現地の非営利ジャズ組織の音楽監督としてジャズフェスティバルや教育プログラムなどに関っているようです。My同志、Mr. Wallace、来日することがあれば、ぜひOverSeasで寺井尚之と一緒に演奏してくださいね!
CU