対訳ノート(29)波止場に佇み:I Cover the Waterfront

 「残暑お見舞い」には、あまりにも暑い毎日、シャワーを浴びないと一日は始まりません。皆様いかがお過ごしですか?
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 今日はメインステムが土曜日に演奏予定の名曲“波止場にたたずみ”について書いてみたいと思います。
<歌のお里>
 ジョニー・グリーン作曲、エドワード・ヘイマン作詞、ポップ・ソングとして“I Cover the Waterfront”が書かれたのは1933年のこと。このコンビの最大のヒットはビング・クロスビーが歌った”Out of Nowhere”ですが、Interludeを読んで下さる方なら“Body & Soul”の作者であることはもうご存知かもしれませんね。
 この歌は当時のベストセラー小説のタイトルにあやかって作られました。小説の“I Cover the  Waterfront”は、文字通り”沿岸警備”で、新聞記者出身の作家、マックス・ミラーが書いたロマンチック・ミステリー、中国系移民の密航事件を追う新聞記者が、犯人の美しい娘と恋に落ちながらも、果敢に真実を追及していくというストーリー、ミラー自身が長年港湾関係の取材で鳴らしたジャーナリストだったので、リアルな描写と歯切れの良い文章が受け、すぐに映画化されこれも大ヒット。歌はストーリーとは余り関係ないけど、先行ヒットしていたために、映画の中でも使われています。深夜映画のないこの時代、ネットでこの映画も観ることが出来ます。ただし字幕はなし。
<帰還兵を待つ歌として>
Image-BillieHoliday.jpg この歌が再び愛され、小説や映画より長く記憶に残るようになったのは第二次大戦後のことです。波止場に佇み待ちわびるのは、外地に出征した恋人や夫でなくとも、息子や兄弟、友人であったかも知れません。日本にも『岸壁の母』という歌謡曲がありましたが、戦争の勝ち負けは別にして、戦争に巻き込まれた人々の心は同じであったでしょう。ビリー・ホリディのカーネギー・ホールでのコンサート(’47)で”I Cover the Waterfront!”と大きな掛け声がかかるのが思い出されますね。
 ちょうど現在ジミー・ヒース(ts)の自伝を読んでいるのですが、大戦直後ジミーが所属していた楽団の歌手も、頻繁に“I Cover the Waterfront”を歌っていて、それをふざけて物真似したジミーが、当の歌手にあやうく撃ち殺されそうになったという、イチビリな私にとって非常に恐ろしいエピソードが書かれていました。
 かつて”水辺にたたずみ”とも邦題表記されていましたが、この歌の舞台が「水辺」ではなく「波止場」であることは、ヴァースを読めば明らかですよね。そして、歌詞を読めば”Cover”という動詞が決して、沿岸警備隊や警察のように、波止場の周辺をくまなく捜査するというニュアンスでなく、ひっそりとした夜の港にじっと立ち続け、海の向こうにいる大切な人に語りかけている歌であることがわかると思います。

I Cover the Waterfront
波止場に佇み

原詞はこちらに
Edward Heyman詞、Johnny Green曲
(Verse)
人を傷つけ嘲る都会を離れ、
ひっそりした凍てつく夜、
荒涼とした波止場に独り佇む。
見えるのはどこまでも続く水平線だけ。
心は痛み、石のように重苦しい。
日が昇ると、少しは軽くなるかしら?
(Chorus)
私は波止場に佇み、
海に目を凝らす。
愛する人は
帰って来るの?

波止場に佇み、
恋人を捜す、
見上げれば
星のない夜空。

私はここよ、
辛抱強く待ちわびる

はかない希望に全てを託し、
あなたを想って待っている。
なんと切ないことでしょう!
あなたは今どこ?
私のことなど忘れたの?
どうぞ覚えていてほしい。
戻ってくるの?戻って来てよ。

私は波止場に佇んで、
ひたすら海を見つめてる。
愛する人が戻って来ないかと。
どうぞ戻ってきて…

 切ないな!
 アレック・ワイルダーは、この歌を「切々と感情に訴えかける佳作」と書いていた。
「待てば海路の日和あり」と言うけれど、待つのは本当に辛い。恋人を待つのも、OverSeasでお客様を待つのもご同様。でもロマン派=寺井尚之がこの曲を料理すると、希望の星がひとつ、ふたつと灯って、心が癒されるかも知れません。
 土曜日のメインステム、どうぞご期待ください。
 お勧め料理は、ちょっぴりエスニックに、生春巻きと熱い春巻きの盛り合わせにしようと思ってます。
CU

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