J.J.ジョンソン北欧ツアー秘話

無題.png 今週の土曜日、「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は”J.J. Johnson Live in Sweden 1957″が登場!レギュラー・バンドの演奏の緻密さ、すごさと共に、トミー・フラナガン・ファンにとっては、『OVERSEAS』録音直前の貴重な記録でもあり、講座にあたって、このヨーロッパ・ツアーのことを調べていると、色々面白い事実を発見したので、ここに書き留めておきます。
<初めてのヨーロッパ・ツアー!>
 このツアーは、スウェーデン政府の招聘によるもので、J.J.ジョンソン初めてのヨーロッパ・ツアーでした。故郷インディアナポリスの新聞“The Indianapolice Recorder “(’57 6/22付)には「地元出身トロンボニスト、スウェーデンを席巻!」と大見出しで報道されています。当時、J.J.はジャズ史上最悪の条例、NYキャバレー法のトラブルで、正式なNYでのクラブ出演に制約があったのですが、素晴らしいミュージシャンであることを海外が認めてくれたわけで、J.J.も「よっしゃ!」と気合が入ったに違いありません。何事も緻密に計画するJ.J.はツアーの前年に、まずエルヴィン・ジョーンズを誘い、エルヴィンが、タイリー・グレン(tb, vib)のバンドで一緒だったトミー・フラナガンを誘い、J.J.のバンドに参入。”J Is for Jazz”や”Dial JJ5″など、レコーディングを重ね、出発直前にはカフェ・ボヘミアに出演し、レギュラーとして体裁が十分に整ってからツアーに臨みました。トミー・フラナガンが、スウェーデンからNYに派遣されていたプロデューサー、ダールグレン氏に録音の要請を受けた後、「OVERSEAS」のアイデアを練る時間も十分あったのかも知れません。
<豪華客船の旅と新兵器!>
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 1957年6月、J.J.ジョンソン、ボビー・ジャスパー、トミー・フラナガン、ウィルバー・リトル、エルヴィン・ジョーンズ一行はNY港から船で北欧に向かいました。アルバム・ライナーでは「6月13日首都ストックホルムに到着後、翌日の14日にさっそくラジオ出演(本作1~5の演奏)」と書かれていますが、国立アメリカ歴史博物館所蔵のエルヴィン・ジョーンズの証言では「コペンハーゲンからツアーをスタートし、数日後ストックホルムへ向かった。」 とありました。とにかく、昔のことなので記憶があいまいなのかも知れません、でも、はっきりとエルヴィンが覚えているのは船旅の快適さ!数日の船旅の間はごちそう三昧で、「ヨーロッパ旅行は船に限る!」と思ったとか。
cbf5c97e6727066b97bbe8f21d397107.jpg また、このアルバムでは、トロンボニウムという耳慣れない名前の楽器が使われています。これは、J.J.の言葉を借りれば、「バリトン・ホーンとフリューゲル・ホーン、あるいはユーフォニウムとかメロフォンを足して二で割ったような楽器。」。ツアーの前年に、カイ・ウィンディングと、金管楽器メーカー「KING」の工房を訪問した際、ひょんなことから「これ持ってって使ってみなよ。」ということになり、二人で一生懸命練習して、ツアー前年にJ & Kaiで”Piece For Two Tromboniums”をレコーディングしています。スライド・トロンボーン主体で、元々ヴァルヴ楽器奏者でなかったJ.J.にとって、トロンボニウムを吹きこなし、まして自由にアドリブをするというのは「かなりの根性と稽古が必要だった。」と言いますから、折角自分の思いのままに動くようになった楽器を、このツアーで使ってみようと思っても不思議はないかも知れませんね。それとも、何らかの事情で、スライド・トロンボーンよりも使い勝手が良かったのかも知れません。
<ジャズの巨人 蚊に泣く>
 ツアーは、デンマーク、スウェーデン、フランス、オランダ、それにボビー・ジャスパーの故国、ベルギーと約3か月の長期にわたって各国を回るものでした。当時のダウンビート誌には、どこに行っても景観ばかりで、J.J.ジョンソンが「バンドのメンバーが皆で使えるように3台のカメラを購入し、毎日フィルム10本分パシャパシャと撮影し、イーストマン・コダック社(!)の利益に貢献した。」と書かれていて、時代を感じます。今なら、TwitterやFacebookのJJのアカウントに、沢山観光やグルメの写真がアップされていたかも知れませんね!
kungsan.jpg マシュマロ・レコードの上不三雄氏から、スウェーデンの公演は、ほとんどが野外だったと教えていただきました。エルヴィン・ジョーンズの証言では、スウェーデンでは、どの町にも必ず大きな公園があり、いろんなイベントが公園で開催されていたそうです。北欧の短い夏でもやはり蚊はいるようで、メンバーはどこに行っても蚊の襲撃に悩まされ続けたそうですが、どこも満員の大盛況!ストックホルムのヴぇニューは、”Kungstrad garden”(王様の公園)というところで、J.J.ジョンソンクインテットの単独公演に、なんと2万人の聴衆が詰めかけました。大群衆を前にしたエルヴィン・ジョーンズは「今夜ばかりは、スティックを落っことしちゃいけない…」と肝に銘じたそうです。
 当時J.J.ジョンソン33才、ボビー・ジャスパー31才、エルヴィン・ジョーンズ、ウィルバー・リトル29才、トミー・フラナガン27才、皆若いですから、コンサートがハネるとジャム・セッションで盛り上がりたいところ…でもストックホルムにはジャズクラブがなく、現地のミュージシャンが待つレストランでセッションが行われたそうです。ですからシンデレラのように、閉店時間の零時には解散し、NYで蓄積した睡眠不足の解消に役立ったとか…J.J.ジョンソンはその時、印象に残ったミュージシャンにスウェーデンのトロンボーン奏者、オキ・ペルソンを挙げています。
 一行は更に各地を回り、アムステルダムの名ホール、”コンセルトヘボウ”の音響の素晴らしさにJ.J.は感動!ステージで囁くと、最後部で同じように聞こえる。マイクなんて必要ない!と絶賛しました。そのコンサートの模様も、最近リリースされたので、来月の講座で解説予定です。
<クビになったエルヴィンとソニー・ロリンズの名盤>
 J.J.ジョンソンとトミー・フラナガンのファンなら、ボビー・ジャスパーとエルヴィン・ジョーンズを擁する、バランスのよいこのクインテットと、その後『J. J. in Person 』などで聴ける、弾けるようなナット・アダレイ(cor)とアルバート”トゥティ”ヒース(ds)のクインテットと、どちらが好きかで話題が盛り上がりますよね。
 寺井尚之はかねてからこんな風に断言していました。
 「J.J.みたいなきっちりしたタイプやったら、エルヴィンのドラムはリズムが流れるところがあるから、絶対アル・ヒースの方が好みやと思う。今やったらルイス・ナッシュ(ds)が好みやろうな。」これをぴったり裏付ける事実をエルヴィン・ジョーンズのインタビューに発見してびっくり仰天!
 J.J.ジョンソンは、この輝かしい楽旅が終わった途端、アルバート”トゥティ”ヒースに共演を約束し、エルヴィンにはクビを言い渡したというのです。その理由は「君はタイムキープができない。」というもので、激怒したエルヴィンは、帰国後フィラデルフィアとNJのクラブ”Red Hill Inn”のギグを消化した後、さっさと辞めてしまうのです。
 恐るべし寺井尚之!ジャズ講座の実績はダテじゃない!
sonnyrollinsvillagevanguard.jpg 1957年11月3日、「君はタイムキープができない。」ドラマーにとって最悪の言葉でクビにされたエルヴィンがNYに戻り、兄のトム(9人兄弟です)と一緒に昼間からダウンタウンでヤケ酒を飲んでいると、ベースのウィルバー・ウエアがやって来て「ソニー・ロリンズがお前のことを捜してるぞ!」と告げます。
 誘われるままヴィレッジ・ヴァンガードに行くと、ロリンズが出演中、誘われるまま、丸一日遊びで一緒に演奏してしまいました。そうしたら、その日はなんとBlue Noteのライブ・レコーディングの日だった!本来のドラマー、ピート・ラロッカではなんとなくサマにならなかったので、エルヴィンを捜していたんです。出来上がったのが、なんと、古典と謳われる『A Night At The Village Vanguard』でも、エルヴィンは遊んだだけなのでギャラは1セントもなし!
ロリンズは“Oh, man thank you.”とお礼を言っただけ、エルヴィンは“Oh, man shit!”って悪態をついただけだったんですって!
 エルヴィンがJ.J.にクビにされていなければ、ロリンズの人気アルバムも生まれてなかったというウソのような話ですが、スミソニアン歴史博物館にしっかり所蔵されています。同じアーカイブにあるJ.J.ジョンソンのインタビューや、以前ジャズ史家アイラ・ギトラーさんに教えていただいた、J.J.ジョンソンの評伝「The Musical World Of J.J. Johnson」などから、色んなことを根掘り葉掘り・・・
 というわけで、今回のLive in Swedenの後にライブ録音された『Live in Amsterdam』や『OVERSEAS』のこぼれ話は、また機会を改めて!
 土曜日は「トミー・フラナガンの足跡を辿る」にお待ちしています!
 おすすめ料理は「チキンの春野菜ソース」にします!
CU

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