このところ、足跡講座で毎月聴いてるJ.J.ジョンソンのレコーディングは、大胆不敵で非の打ちどころがない。レギュラー・ピアニスト、フラナガンは「あれはトロンボーンじゃない!べ・つ・も・ん。」と言った。恐るべしJ.J.ジョンソン…彼がもし科学者だったらノーベル賞をもらったかも・・・極悪人なら山ほど完全犯罪をやったかも… そんな天才もたった一度だけしくじった。それは1946年にキャバレー・カードを剥奪されたこと。理由は「麻薬所持」ではなかった。なんと「注射針」がポケットから見つかっただけ。
<キャバレー・カードとは>
↙これがキャバレー・カード(キャバレー従業員身分証)
NYのキャバレー・カードは「キャバレー従業員身分証」で、いわばクラブ出演のパスポートと呼ばれた。このカードを剥奪されたおかげで生活の糧を奪われたジャズの巨人は、チャーリー・パーカー、ビリー・ホリディ、バド・パウエル、セロニアス・モンク、ジミー・ヒース、ジャッキー・マクリーン、ソニー・クラークetc…と枚挙にいとまなし。そもそもNY特有のキャバレー・カードとは何でしょう?
キャバレー・カードの起源は、禁酒法時代に大繁盛したモグリ酒場(Speakeasy)を統括するためにNY市がひねり出したの苦肉の条例。だいたい非合法ビジネスを法律で管理するというのが無茶で、酒場と言えないからキャバレーにして、店の営業許可制度と従業員の身分証制度を作った。
条例におけるキャバレーの定義は、歌やダンス、それに類する音楽的娯楽と、「飲食物」の販売が関連する業態の部屋、空間、場所、回りくどいね!とにかく、もぐり酒場の営業許可証制度を敷く法令を作ったのです。だから元々は店の営業許可。それがいつの間にか従業員の就業許可制度になった。
禁酒法のおかげでモグリ酒場は大儲け!故にキャバレー法を管理する認可局と警察には、酒場からの賄賂で潤った!ついでに警察年金基金も潤った。だから、或いは、しかしか?禁酒法撤廃後もキャバレー法は存続します。
1940年代、全米に労働組合運動の嵐が吹き荒れて、米国に、「赤狩り」時代到来!社会主義革命を恐れる余り、自由の国アメリカ、その大統領がFBIに「合衆国の治安を脅かす可能性のある国民のリスト」を作った時代、キャバレー法はストライキ防止のための条例になった。つまり、キャバレーで働くコックやウエイターさんが組合活動なんかしないように、好ましくない分子を規制するのに使われた。この時代にキャバレー・カードという従業員身分証制度が生まれたんです。カードは調理師やウエイターだけでなく、出演ダンサー、ミュージシャン、コメディアンも取得しないと働けない。前科者や麻薬中毒者にカードは支給されない。NYのアルコール販売局が関わりながら、実質的な審査と発行はNY市警、発行手数料は警察年金基金にまわすというシステムになった。
<事例①:J.J.ジョンソン>
J.J.ジョンソンの場合は、1946年に「注射針」が発見されて逮捕、司法取引に応じたジョンソン「有罪」を認めた。有色人種がお上にたてつくなんてありえない時代です。結果、実刑は免れたものの、キャバレー・カード剥奪。主要ジャズ雑誌の人気投票では常に1位であったのにNYのクラブ出演はできない。ツアーに出るか、劇場に出演するか、川向こうのニュージャージーのクラブに出るしかなかった。それでも、名門コロンビア・レコードからコンスタントにレコーディングすることが出来たのは、人気と実力がいかに凄かったかの証明です。
ジョンソンは、その後もカード再発行の申請を続けましたが、NYPD(NY市警察)の認可局は一貫して却下。彼が一旦青写真技師として工業メーカーに勤務した原因のひとつです。
事件から10年後の1956年11月、NY市警察はやっとこさ、6ヶ月間限定の臨時カードを交付してくれました。ただし出演できる店は一件だけ、そしてNY市立病院発行の「麻薬中毒者でないことの診断書」をもってこいと言われた、どだい、そんな証明書を私立病院は発行しない。NY市警はそんな証明書がないことを承知で無理難題をふっかけた。
トミー・フラナガンのレギュラー時代、ジョンソンが海外の長期ツアーに出たり、NJの店「Red Hill In」ののライブ・レコーディングがあるのに、NYのクラブ出演はカフェ・ボヘミア以外ほとんどないのは、このためです。
<事例②:バド・パウエル>
Jazz Original (Photo credit: Wikipedia)
NY史上最もリベラルな法律家と言われるマックスウエル・コーヘン弁護士とキャバレー法の関わりは、1951年のバド・パウエルの事件がきっかけです。パウエルは精神病院を退院してまもなく、「バードランド」から出演依頼を受けた。それでキャバレー・カードを申請するも、「不適格」として却下。ドル箱興行が潰されて怒ったのは「バードランド」のマネージャー、オスカー・グッドスタイン、実はこの人も法律家です。パウエルの友人である黒人メディア「Jet」や「Eboby」の編集長、アラン・モリソンも怒った!そこで彼らは、コーヘン弁護士にパウエル事件の法的調査を依頼した。 すったもんだの末、パウエルもJ.Jのように限定的カードを発行され、「バードランド」のみの出演が可能になっただけでした。
調査を進めていく内に、コーヘン弁護士は驚いた!
「私の徹底的な調査研究の結果、バド・パウエル(あるいは類似の従業員)に対し、NY市警がキャバレー・カードを要求する法的根拠は、どこにも存在しないことが明らかとなった。」 (コーヘン著書「The Police Card Discord」より)
バド・パウエルの窮状がきっかけで、このキャバレー・カード訴訟に発展するまで、7年の月日がかかったんです。
<J.J.ジョンソン参戦>
左からコーヘン弁護士と原告団J.J.ジョンソン ビル・ルビンスタイン(p)、ジョニー・リチャーズ
1959年5月、J.J.ジョンソンは、作編曲家、バンドリーダーのジョニー・リチャーズ、ピアニスト、ビル・ルビンスタインとともに、NY州上級裁判所に訴状を提出。被告人はNY市警本部長とその代理人、及び警察年金基金の理事13名。原告代理人、同時に裁判の仕掛け人は、コーヘン弁護士、「名目上の原告達」のバックにはオスカー・グッドスタイン、そしてミュージシャン組合などこの業界関連の労働組合がおり、キャバレー・カード条例が憲法に反し、違法に申請手数料が警察年金に流用されていることを主張するためでした。
訴状の項目は119アイテムに及ぶもので、原告はキャバレー・カードのせいで財産に不当な損害を被った善良な市民である音楽家3名、なかでも人気ジャズマンのJ.J.ジョンソンは、「善良な米国市民が、キャバレー・カードを剥奪されて、経済的にも精神的にも甚大な被害を被った完璧な好例」だった。
原告になると、衆目にさらされ、揚げ足をとられるかも知れない。でもジョンソンはリスクを顧みず、進んで原告を引き受け法廷に出た。ジョンソンの英断は、自分が受けた仕打ちだけでなく、バド・パウエルのように人生をめちゃくちゃにされた多くの同胞を代表して戦うんだ!という強い使命感があったからです。
原告、J.J.ジョンソンの運命はいかに?判決は?続きは次回。