先週来られたお客様のスマホケースに目が釘付け。コロンビアの稀少盤『Jazz Omnibus』のイラストがすごくおしゃれ!このオムニバス盤に収録されているSmoke Signal”は、Donald Byrd/Gigi Gryceの双頭コンボ”Jazz Lab”にTommy Flanagan、Arthur Taylorが入り颯爽とスイング!小粋でユーモラスなジャケットも好きだった!
高級車から降り立つマダムはミンクのコート、気取って手にするのは、エルメスのバッグではなくトランペットのケース、お付には、お犬さまを抱えたお抱え運転手、制服を着たドア・ボーイが開けるドアには「ジャムセッション」の看板!ありそうでなさそうな、古き良きNYの一コマが、ジャズクラブの張り出しテントが作り出すフレームにすっきり収まっている。
その常連様が教えてくれました。「このイラスト書いたんはウィリアム・スタイグやねん。」ふーん、そういえば、トミー・フラナガン愛好会のご夫妻が山中湖で営む「森の中の絵本館」にジェレミー・スタイグ(fl)のお父さんの絵本があるって言ってたな…ウィリアム・スタイグってどんな人なんだろう?
1960年代、Newsweekはウィリアム・スタイグに the “King of Catroons” という名を献上。つまり「漫画王」!1930年以来、記事のクォリティの高さで世界中で読まれたタウン誌”The New Yorker”に、スタイグが描いた表紙や一コマ風刺漫画の総数およそ2,700点、上に掲げた『Jazz Omnibus』を始め、傍系Epicのジャズ・レコードのユーモラスなアルバムジャケットを始めとするコマーシャル・アートや、潜在意識をテーマにしたユニークなイラスト集、、それに木彫の彫刻、さらには、児童文学の名作群、彼の創造したキャラクター、”シュレック”はアニメとして大ヒット! “Shrek!”とは、ユダヤ系移民の言葉、イディッシュ語で「恐い!」という意味なんですって。
<実業家になるな。労働者になるな。>
スタイグは移民二世、ブルックリン生まれでブロンクス育ちの典型的ユダヤ系ニューヨーカーだった。兄弟全員絵心があり、なんともユニークな経歴の持ち主ばかり。アーサー(Arthur Steig)はイラストレーターであり詩人、後にアーティスト向けの画材屋を営み繁盛した。ヘンリー(Henry Anton Steig ) はイラストレーターでジャズ・ミュージシャン、独学でダイヤモンドの加工に習熟、人気ジュエリー・デザイナーになった。余談ですが、マリリン・モンローのスカートが舞い上がる『7年目の浮気』の歴史的名シーンはレキシントン・アヴェニュー52丁目にあったヘンリーの宝石屋の前で撮影されている!(マリリンのスカートの中以外に場面のディテールを観る人は少ないだろうけど)、Steigのジュエリー工房は映画遺産になりました。
さて、スタイグ家のアーティスティックな系譜は、オーストリアから移民してきたポーランド系ユダヤ人の両親のDNAと教育法にあったようです。お父さんはペンキ職人、お母さんは裁縫師という職人夫婦で根っからの社会主義者、2人は子供たちをこう言って諭しました。
「大きくなっても労働者になってはいけない。労働者は資本家に搾取されるから。実業家にもなってはいけない。労働者を搾取して儲けるなんてもってのほかだ!」
だからスタイグ家の子供たちには、アーティストが、一番身近な職業選択肢だったようです。ウィリアムは高校生の時から生徒新聞で名漫画家として鳴らし、卒業後はNY私立大学やいくつかの美術学校に通うものの、どうも長続きしなかった。そのうち大恐慌でお父さんの仕事が激減、必然的に長男のウィリアムが稼がなくてはならなくなった。大恐慌の翌’30年、幸運にも”The New Yorker”が、まだ駆け出しの彼の風刺漫画を40ドルという大金で買ってくれて、まもなく雑誌お抱えの漫画家となります。’31年には、彼の描くユーモラスなキャラクター「Small Fry (じゃりんこ) 」が人気を博し、以来30年の長い間、じゃりんこ君達は”The New Yorker”の表紙や紙面を彩ることになりました。後にビング・クロスビーの同名ヒット曲の収録アルバムに、このキャラクターが使われています。
スタイグの作品はネット上に無数にあり、日本人の私も笑えて、知的なNewYorkerみたいな気分にしてくれる。色々な絵をしげしげ眺めたおかげで、このエントリーを書くのに思いの外時間がかかってしまいました。
他にも、スタイグは「ジャズ・ミュージシャン」を意味する”Cats”のキャラクターを使ってEpicのジャズ・シリーズに様々デザインを遺した。音楽内容とは、さほど関係はないにせよ、大人カワイイものばかり。
<心理学的ドローイング>
スタイグはユーモアに富んだ楽しい人だったらしいけれど、自分の心の闇と格闘し、それをイラストで表現した。 最初の結婚がうまく行かなくなりノイローゼになったスタイグをカウンセリングで救ったのは、精神分析学者ヴィルヘルム・ライヒという人で、彼の理論に心酔したスタイグは、サイコロジカル・ドローイングという新たなジャンルを開拓しました。このライヒがまたぶっ飛んだ科学者で、調べていると、またまた時間の立つのを忘れるほどです。フロイトの弟子であったライヒは、潜在的な性的欲望が人間を支配するという原則に立つ精神分析や、性的オーガズムを物理的エネルギーとして捉えるというユニークな「オルゴン理論」を展開しました。まるでウディ・アレンの映画みたいでしょう! 彼は上のイラストみたいな「オルゴン・ボックス」に籠るエナジー療法を提唱し、アルゴン理論は共産主義やUFOにまでリンクしていく。つまり、私のような凡人には摩訶不思議なマッド・サイエンティストで、実際、ウディ・アレンは”The Sleepers”というSFコメディでこのボックスをパロディ的に使ってた。ライヒは思想弾圧を逃れて米国に亡命したものの、結局、詐欺罪で投獄され、スタイグの経済的援助も虚しく、’57年に獄中死した。
上、左:「あこがれ」 右:「子ども時代の思い出/キャンデイを持ってきてくれた女の人」「子どもが観る父親の姿」(作品集”About People”より)
“The New Yorker”の編集者の一人は、スタイグの心理学的なドローイング・スタイルが、”The New Yorker”を、更に高級な文芸誌に変貌させたと証言しています。それほど強い影響力を持つイラストレーターだった。
<児童文学へ>
スタイグは93才で亡くなるまで4回結婚している。私の知ってるジャズ・ミュージシャンは2回宗教を変え、結婚歴も(少なくとも)4回あるけど、決してめんどくさい人ではなく、穏やかな正確で、誠実かつ真面目な人です。納得の行くまで人生を追求するタイプなのかも知れません。
スタイグと最初の奥さんとの間に出来たのが、フルート奏者ジェレミー・スタイグで、彼の画才はフルート以上かも…左のアルバム・ジャケットもかなりなものですよね。ウィリアムが下書きせずにインキで直に描く手法へと移行したのは、この息子のアドヴァイスからだった。
スタイグは、60才にして娶った4人目(で最後)の妻と93歳で亡くなるまで連れ添った。彼女は作家兼ヴィジュアル・アーティストのジーン・ドロンで、妻に乞われるまま、児童文学の世界でも新境地を開きました。
おなじみの「みにくいシュレック」は、ジーンの簡単な描写から遊び半分で作ったキャラクターでした。その他にも「Doctor De Soto / 歯いしゃのチュー先生」「Amos and Doris / ねずみとくじら」などなど、殆どの作品が日本語に翻訳されています。
挿絵やジャケット、一コマ漫画、どれを見てもスタイグの作品は、優れたジャズ・ミュージシャンのプレイのように、メッセージが明瞭で、絵としても面白く、すっきりまとまっています。キャプション不要の稀有なイラストレーター、スタイグが愛したアーティストは、ピカソやゴッホ、そしてレンブラント!彼の作品を観ると、素人の私にもなんとなく頷ける。
93才まで、ほとんど現役で活躍したスタイグは、自身の内なる闇との戦いの勝利者だった。悩みに勝つ秘訣は彼の書いた童話に隠されているのかも知れません。だって彼の童話に出てくるヒーロー達は悪者を殺さない。悪者は降伏するだけ。それでハッピーエンドなんだって!
めでたし、めでたし。
珠重様、こんばんは。
>「大きくなっても労働者になってはいけない。労働者は資本家に搾取されるから。実業家にもなってはいけない。労働者を搾取して儲けるなんてもってのほかだ!」
> だからスタイグ家の子供たちには、アーティストが、一番身近な職業選択肢だったようです。
手に職を!何て真っ当なおしえでしょう。このイラストには憶えがありますが、まさかジェレミー・スタイグの父上の手によるものだなんて思いもよりませんでした。大恐慌に巻き込まれ自分の腕一本で食べてゆくしかなかったのでしょうね。『憧れ(Yearning)』というシンプルな“心理的ドローイング”には感心しました。
「もし人が何事かを独力で創りあげる才能をもちあわせていなければ、自由は厄介な重荷以外の何物でもない」。敬愛してやまない『波止場日記』のEric Hofferの言葉です。
“自由になるには才能がいる”、裏を返せば“才能に応じて人は自由になれる”ということでしょうか。子供の頃ピアノを習っておりましたが、たしかに不自由を実感するばかりでした(笑)。でも才能だっていろいろ。自分の中に埋もれた才能を見つけだすこと。それを止まらずに時間をかけて伸ばしてゆくこと。それができれば人生、楽しくなるのかもしれません。
「他人と分かちあうことをしぶる魂は、概して、それ自体、多くを持っていないのだ」。Eric Hoffer先生、人々に癒しと安らぎを与えるジャズマンの人生を、暗に讃えていたのかもしれません。
イザベラさま、コメントありがとうございました。
“自由になるには才能がいる” 確かにそうですね。ジャズでも「自由」はスタイルの問題ではないですし。フリージャズでも「自由」ではなく「カオス」になることも・・・
コメントを頂いて、またホッファなど読んでみたくなりました。
ありがとうございました。