7月になると、“Star-Crossed Lovers”(不幸な星めぐりで、添い遂げることの出来ない恋人達)という名の美しいバラードが、OverSeasで聴ます。
寺井尚之は“Star-Crossed Lovers”に、「七夕」にしか逢うことの出来ない恋人たち、織姫、彦星のイメージを重ねて、天の川のように瞬く幻想的なサウンドに乗せて聴かせてくれる。
<Such Sweet Thunder>
“Star-Crossed Lovers”、言葉の起源は、エリザベス朝時代、文豪シェイクスピアが戯曲『ロメオとジュリエット』のために創りだしたものだった。以来『ロメオとジュリエット』の物語は、どんなに時代が変わっても愛され続けます。
シェークスピアの時代から4世紀が経った1956年、デューク・エリントンとビリー・ストレイホーンのコンビは、カナダ、オンタリオ州で開催された”シェイクスピア・フェスティヴァル”のために、“Such Sweet Thunder”というシェイクスピア組曲を書き下ろす。それは、マクベスやハムレットなど、シェイクスピアの作品に因んだ12曲から成るもので、“Star-Crossed Lovers”は、もちろん『ロメオとジュリエット』に因んだ作品だった。
組曲のタイトル・チューン、”Such Sweet Thunder”(かくも甘美なる雷鳴)は、”真夏の夜の夢”のセリフですが、「甘美なる雷」とは、エリントン楽団そのもの!この言いえて妙なネーミングはストレイホーンのアイデアかな…
ビリー・ストレイホーンは、バンド・メンバーから”シェイクスピア”とあだ名を付けられる程の、シェイクスピア・オタク。何しろビリーをちゃんと言うとウィリアム!4世紀前のビリー・シェイクスピアが同性に対して謳った哀切なソネットに共感したのかも・・・、ですからこの組曲のオファーに張り切ったのですが、作曲期間はたったの3週間!その間、デューク・エリントンは楽団と共に”バードランド”に出演中で、演奏の合間に曲のデッサンを書きまくる。それを元に、アパートに缶詰になったストレイホーンが、作曲と組曲の体裁を整えるという自転車操業…おまけに別の大プロジェクトを同時進行させていて、到底締め切りに間に合わない絶体絶命でした。そこで、前に作っていた“Pretty Girl”というタイトルのバラードを、”Star-Crossed Lovers”と改題して使いまわした。
料亭の「使いまわし」はバッシングにあうけれど、このリサイクルは大成功!キーは D♭メジャー、A(8)-B(4)-C(4)-D(6)、計22小節という優雅な変則小節で奥行きを感じさせ、色気と品格を併せ持つこの作品には、”プリティ・ガール”より”Star-Crossed Lovers”の方がずっとぴったりすると思いませんか?
この曲は、日本を代表する文学者、村上春樹のお気に入りでもあり、ジャズファンよりハルキストの方がよく知っている曲かもしれない。村上が’90年代初めに書いた長編、『国境の南、太陽の西』には様々な曲が作品に彩りを添えているけど、エリントン楽団による”Star-Crossed Lovers”は、この長編の「愛のテーマ」的な役割として使われている。というか、村上さんは、ジョニー・ホッジスの演奏スタイルを使って、一編の長編小説を作ってみたのでないか、という印象さえ受けます。
1951年という時代には稀な一人っ子として生まれ、何となく屈折した思いを持つハジメという名前の「僕」は、小学生の時、やっぱり一人っ子で、足の不自由な女の子、「島本さん」と出会い、唯一心を通わせるのだけれど、中学に入ると別れ別れになり、別々の人生を歩む。
次に交際したガールフレンドは「イズミ」で気立ての良い魅力的な女の子だったが、「僕」は彼女の従姉妹と同時に肉体関係を持ち、「イズミ」をひどく傷つけてしまう。誰と交際しても、「島本さん」のようには、心を通わせることが出来ない。
バブル時代の東京、「僕」は30代で結婚をし、子供をもうけ、都心の洒落たジャズ・バー“ロビンズ・ネスト”のオーナーとなり、適当に浮気も楽しみながら、裕福な生活を送っている。
「僕」が経営する店に赴くと、必ずハウス・ピアニストは、彼のお気に入りの曲、”Star-Crossed Lovers”を演奏する。そんな彼の店に、美しい大人の女性に成長した「島本さん」が不意に訪ねてくる。彼女も同じように、ずっと自分のことを思い続けていたのだ。
「島本さん」は私生活を明かさず、彼の店に通い詰めたかと思えば、数ヶ月姿をくらまし消息を絶ってしまう魔性の女、まるで星の巡行のように、数ヶ月単位で近づいたり離れたりするのです。「僕」は、そんな彼女に、どうしようもなくのめりこみ、とうとう箱根の別荘で一夜を過ごし、「気持ち」だけでなく「肉体」も結ばれるのです。
思いを遂げて幸せになったと思えばさにあらず….
全てを投げ打って、島本さんと人生を再出発しようとする「僕」とは逆に、島本さんは「僕」と心中することを決意していた。「僕」と死ねなかった彼女は結ばれた翌朝、忽然と姿を消してしまう… そして、何も気づいていないと思っていた「僕」の妻も、夫の恋に気づいていて、自殺を考えていた事を知らされる・・・
「島本さん」を失った「僕」は、映画カサブランカのリックのように、店のピアニストに向かって言う、「もう、スター・クロスト・ラバーズは弾かなくてもいいよ。」…
結局、スター・クロスト・ラバーズは、「僕」と「島本さん」だけでなく、この小説に登場する全員のメタファー(隠喩)で、様々な「星」の行き違う様子を語った物語だったのだと、読んでから判るんです。
<リリアン・テリーの歌うStar-Crossed Lovers>
前にも書いたように、トミー・フラナガンは、《Tommy Flanagan Trio, Montreux ’77》や、《Encounter!》で演っているのですが、もう一枚、イタリアのジャズ・シンガー、リリアン・テリーとの共演作でも、フラナガンは息を呑むようなソロ・ルバートを聴かせています。このアルバムは、ピアノの役割が、単に「歌伴」というカテゴリーに納まらないほど大きいんです。歌詞は、原型の<Pretty Girl>にストレイホーンが付けた歌詞を、ほんの少し変えて、とってもうまく歌いました。
アルバムのタイトルは《A Dream Comes True》(Soul Note ’82作)、楽曲や共演者に対する尊敬が伝わる、いい感じの作品です!
Star Crossed Lovers
Billy Strayhorn=Duke Ellington
Lover boy, you with a smile,
Come spend awhile with poor little me.
Lover boy, you standing there,
Won’t you come Share my eternity?You could make me a glad one I long to be
Instead of a sad one that you see.Let me live for awhile,
Won’t you give just a smile?Lover boy, you with the eyes,
Won’t you surprise me some fine day.愛しい人、どうぞ私に微笑みを、
あなたを想う哀れな私と
しばしの間、ご一緒に、
愛しい人、佇むあなたをただ見つめるだけ、
どうぞ永遠の愛を受け入れて。あなたなら、幸せな夢を叶えてくれる、
寂しい私を変えられる。しばらくだけでいいんです、
どうぞ私に生命を与えて。
微笑んでくれるだけでいいのです。愛しい人よ、その瞳で魔法をかけて、
いつの日か、思いがけない喜びを下さいな。
”Star-Crossed Lovers”のメロディを胸の中に鳴らしながら、私は、店からの帰り道、夏の夜空を眺める。
小説を読むのもよし、エリントン楽団や、トミー・フラナガン、色々聴くのもいいけれど、私はやっぱりOverSeasで7月に聴くのが好き!
『国境の南、太陽の西』に出てくる”ロビンズ・ネスト”みたいな、一流のバーテンダーはいないし、アルマーニのネクタイを締めたハンサムなオーナーもいないけど、プレイはずっとうちの方がいいと思う!
そんなStar Crossed Lovers...Mainstemの演奏で7月にぜひ聴いてみて欲しい!
CU
珠重様
こんばんは。ご無沙汰して申し訳ありません。猛暑続きですが、お元気にされていましたか?寺井氏のトリオ・メンバーが若返って?
(Kさん、失礼)いますね。
暫く、PCの使用を控えておりました。
久しぶりにBLOGを拝読させて頂きました。
リリアン・テリーのstar crossed loversを聴いてみたいです。とても素敵な詩ですね~。
では、また覗かせていただきますね。
寺井氏にもお体に気をつけてとお伝えくださいませ。
cappuccinoさま!ご無沙汰ですがお元気ですか?
路地裏から天の川を見るのは難しいですが、ライブを聴けば星空が開けます。
ぜひ一度聴きにきてくださいね!
ありがとうございました。
今晩は。ご無沙汰しています。わたくし、ことしの4月から、ひげバスというハンドル・ネームで音楽のブログもやっております。そこではシェイクスピアに関連のある音楽を採り上げて行くつもりです。明日の記事でデューク・エリントンの『サッチ・スイート・サンダー』を採り上げる予定です。珠重さんの記事が素晴らしいので勝手ながらリンクさせていただこうと思っております。お許しいただけますか?
Ryotasanさん、こんばんは!楽しみにしていた英米文学ブログが休業で気になっていましたが、新しいブログを開設されていたのですね!
「サッチ・スイート・サンダー」のエントリーは、シェイクスピア文学の視点で、判りやすい論評!とても勉強になりました。リンク貼っていただいて光栄です!
あの組曲のアイデアは、ヨーロッパ的なものに心酔していたビリー・ストレイホーンのものだったのではないかと、私は思います。アフリカ系ののオセロやクレオパトラに、深い共感を覚えていたのというのは、私も全く同感です。
アメリカのポピュラー・ソングは、シェイクスピアにヒントを得たものが沢山あると思いますので、これからRyotasanのブログ楽しみにしています!
お立ち寄りいただき、ありがとうございました!
こちらこそありがとうございます!
『米文学ブログ』の方が私の本業 (専門) に近いんですが、最近シェイクスピアと音楽の関係についてムラムラと文書を書きたくなってしまい、困っています。シェイクスピアの詩は奇抜な発想と複雑な表現にあふれており、ポピュラー・ソングのヒントになっている例はあまり思い浮かびませんが、クレオ・レーンさんのジャズ・ヴォーカルは採り上げる予定で、文章も途中まで書いてあります。
いずれコール・ポーターのミュージカルも採り上げたいですね。いろいろ教えて下さい。