OPことオスカー・ペティフォードは天才だ! ベースでもチェロでもソロを取っては華があり、アンサンブルでは安定したビートでバンドに命を与え、弦楽器特有の魔力を放つ。曲を作れば、腕に自信のあるミュージシャンなら必ず挑戦したくなる<Tricrotism>や、マグマの様に燃えるようなブルース<Swingin’ Till the Girls Come Home>など、力強い作品を創った。そして何よりも、個性の強いミュージシャン達をぐっと自分の下に引き寄せ、途方もないエネルギーにまとめ上げる錬金術師のようなリーダーシップがあった。
トミー・フラナガン(p)がケニー・バレル(g)と共にNYに進出した1956年当時、すでにOPはNYの有名ジャズクラブ『バードランド』(現在のNYの同名クラブとは違う。)で、ビッグバンドを率いて活動していた。同時にジャムセッションも主催しており、バド・パウエルの代役として急遽ここでNYデビューを果たした若きフラナガンのプレイが、即オスカー・ペティフォードの耳に留まっただろうことは推測に難くない。
OPはアメリカ先住民族とアフリカ系アメリカ人の混血で、1922年にオクラホマのインディアン居留地で生まれている。両親と11人の兄弟殆んどが複数の楽器に熟達する音楽家の血統だ。この録音の3年後、僅か37歳の若さで、デンマークで客死した。アイラ・ギトラーの名著<Swing to Bebop>では、ビバップ維新の立役者であると同時に、破天荒な武勇伝の持ち主として描かれている。滅法ケンカが強く、同じく親分肌でボブ・サップのような武闘派ベーシストとして名高いチャーリー・ミンガスが酔って暴れた時には、ピーター・アーツのように数秒間でノックアウトしたという神話さえある。
このアルバムが録音された1956年と言えば、ビッグバンド時代はとうの昔に終焉し、スモール・コンボ全盛時代、だがOPはトレンドより理想を優先した。ハープやフレンチホルンを擁し、ホレス・シルバー、ジジ・グライス、ベニー・ゴルソンといった、スモール・コンボ主流のハード・バップ時代をリードするコンポーザー達のオリジナル曲を、ビッグバンドの大スケールで表現した。’40年代に時代を先取りしたビリー・エクスタイン楽団同様、OPのビッグバンドは経済的に行き詰まり、あえなく短命に終わる。
講座では『名盤中の名盤』と紹介されていたこのアルバム、とにかく聴いていて気持ちがいい!明るくてキップがいい!品が良くてキレがいい!
私のお気に入りは<Smoke Signal>-ジャズ講座では、リチャード・ロジャーズ作曲のスタンダード<Lover>の進行を基にしていると教わった。最初から最後まで颯爽として起伏に富むカラフルな構成、作曲者、ジジ・グライス(as)の、風が吹きぬけるようなソロや、オシー・ジョンソン(ds)のツボにはまったドラミング、一音一音が有機的に連鎖しながら、このハード・バップ・ビッグバンドに生命を与えている、同時に、全てがお釈迦様然としたOPの掌の上で起こっているような安定感があるから、一層気持ちが良くなるのかな?“スモーク・シグナル”とは、インディアンの連絡手段だった「のろし」のことだ。それゆえ、何かの「前兆」と言う意味もある。新たな音楽的地平を予見する曲なのだろうか?
最低のギャラしかなくたって、OPと一緒に演りたいから、音楽の喜びを味わいたいからと、ハードバップの獅子達がこぞって参加したビッグバンド!デトロイトで頑固にバップへの信念を貫き、NYで同じ志を持つ集団に参加した若きフラナガン、彼の大きな瞳の輝きはどんなだったろう?
ヒーロー達の姿に思いを馳せながら、このアルバムを聴くと、レンブラントの集団肖像画のように、ペティフォード、アート・ファーマー、ジジ・グライス、ラッキー・トンプソン…そしてフラナガン…疾走するジャズメン達の一瞬の表情が、ビッグバンドと言う名の大きなカンバスに鮮やかに浮き上がり、自分もその時代の空気を共に呼吸しているような不思議な気持ちにさせてくれる。
フラナガンのソロ・パートは少ないけれど、余りある名盤だ。そして、再び講座の本を読むと、詳しいアレンジやソロの解説に加えて、ライナーノートの余談など、お楽しみがまた大きくなる。
次回のブログでは、本アルバムに参加しているフレンチホルン奏者-デヴィッド・アムラムの自伝に、その時の情景が鮮やかに描かれているので、抄訳を紹介したい。