フラナガン来訪前夜の英会話レッスン
アジアビルにあったOverSeas
フラナガンを迎える直前に出会った私のユニークな英語の恩師、ビリーに出会ったのは、1984年8月末、ちょうど今頃の暑い夏の土曜日の夜でした。
夏休みでひっそりしたOverSeas、洗いざらしの白いTシャツとジーンズ、ブルネットの長身の女の子と、ヨガ・ウエアみたいな白リネンのシャツとパンツ姿の男の子、ファッション雑誌から抜け出たような外人のカップルがふらりと入って来ました。化粧っ気はないのに、お人形さんみたいに可憐な女の子、男性もこの街に沢山いるビジネスマンじゃないみたい。どこの国の人だろう?ロックなら似合うだろうけど、とてもジャズを聴くタイプじゃなさそうだ…私は思いました。でも二人は予想に反して、楽しそうに演奏に耳を傾け、「いい音楽だね。LAから来たんだけど、しばらくこの街にいるんだ。また来るよ。」と帰っていきました。でも、きっと二度と来ないだろうな…と、私は思っていたのです。
数日後、またその男性が現れました、また翌日も、その翌日も…何日目かに、アイスコーヒーを飲んでから、彼は切り出しました。「あのピアニストはオーナーなの?彼にちょっと話があるんだけど…」聞けば、彼はLAで活動するロック・ドラマーで、ビリー・ルーニーと言います。妻のジュリーが日本のモデル・エージェンシーと契約して数ヶ月間大阪で仕事するので一緒に来た。妻は超売れっ子のファッション・モデルで毎日忙しいが、自分はたまにモデルのバイトをするくらいで時間がある。だから一緒に演奏をさせてもらえないだろうか?自分の父親はジャズ・ピアニストでレッド・ガーランド(p)の友人だった。本業はロックだが、アメリカのまともなロッカーは、ジャズに対する尊敬と理解がある。だからこの機会に日本でジャズを覚えたい。ギャラは少なくていいから、僕もバップを演りたい、と言います。
OverSeasで熱演中のビリー(’84)
案外真面目そうなビリーの態度に、寺井尚之も快諾し、帰国までの数ヶ月間、週に一度セッションを始めました。バップの猛スピードにヒーヒーいいながら、「そんなトロいドラム叩いてたら音符に蝿が止まるぞ。」なんて寺井の毒舌(ビリーはこの一言が今でも忘れられないらしい。)に耐え、寺井のレパートリーを覚えて行きました。イケメンの彼が演奏していると、外からその姿を見て入ってくる女性客や、美人妻のジュリーや仲間の外人モデルが沢山来るので、調理場のコックさん達も張り切って仕事してました。ジュリーの写真はコックさん達が皆持って行ってしまったので、手元にないのが残念です。
それから間もなく、トミー・フラナガン・トリオ(ジョージ・ムラーツ(b)、アーサー・テイラー(ds))が12月に、レコードで共演した美人ジャズ歌手、阿川泰子さん(vo)のディナー・ショウに付き合い来日が決まり、とんとん拍子にOverSeasでのみフラナガン・トリオとしてコンサートを開くことが決まりました。トミー・フラナガンが日本の小さなジャズクラブ出演するのは史上初!という快挙でした。一方、寺井尚之は、フラナガンが’75年、エラ・フィッツジェラルド(vo)の伴奏者として来日以来、フラナガンの来日時には必ず会い、リハーサルにも同行させてもらっていました。その都度、弟子入りをフラナガンに志願しましたが、「私は演奏家で教える暇はない。」と、首を縦に振ってはもらえなかったのです。だから今回が寺井にとって弟子入りの最後のチャンスと言えました。OverSeasは、すでに何度もアメリカのジャズメンのコンサートの経験はあったものの、このコンサートは、寺井だけでなく、私にとっても人生の一大事でした。
’75年2月、雪の京都会館の楽屋口にて、初めて弟子入り志願したものの…
初めてOverSeasにやって来るフラナガンに、何とか想いを伝えたい!
ボンベイビル時代からウエイトレスとしての英語には困ることはありませんでしたが、それ以上の英語力なんて、私には何もありませんでした。子供のときから勉強嫌い、小学生の時に近所の教会のお姉さんに英語を習った貯金と「試験に出る英単語」だけで大学受験まで誤魔化した怠け者が、生まれて初めて「英語を勉強せな!!」と目覚めたのです。とはいえ、私には、英会話学校に通うような時間とお金の余裕などないし、逆に常連のネイティブの英会話講師さんたちに「あなた英語どうやって勉強したの?授業の参考にしたいから、詳しく教えてほしい。」と聞かれる始末ですからいけません。
そこで、周りを見渡すと、ちょうどビリーがいたのです。彼とは誕生日が数日しか違わず、見た目は全く違うのに、なんとなくウマが合いました。交渉の結果、お店が空いている午後の一時間、一回2000円(!)で教えてくれることになりました。生徒は寺井尚之と私、講義は全て英語、テキストはなし、お茶つきという条件。年末に来るトミー・フラナガンに心を伝える事に的を絞った4回のレッスンが、私の受けた唯一の、まともな(?)「英語のレッスン」です。大学で国語教師の免状を持っているというビリーのレッスンはユニークで実践的、即戦力の効果抜群、加えて、その後の勉強の基礎として大いに役立ちました。以下がレッスンの概要です。
ビリーと私(’84)
“BILLY’S エイゴ CAMP=学習ノート”
<レッスン1:口語を覚えろ>
初めてのレッスンで開口一番、ビリーは言いました。「トミー・フラナガンとちゃんと話したければ、まず”Colloquial English”を覚えろ。」「コ・ロッ・キャル??それなに?」「教科書に書いてある堅苦しい英語でなく、普通に皆が話してる言葉のことや。わかるか?」後で辞書を引くと「口語」と書いてありました。
最初の3語。
① Umm… ② Let me see…. ③ Well…
レッスンはまずこの3つの言葉じゃないような言葉から始まりました。
「相手の言うことが即理解できなかったら、上のどれかを使って時間稼ぎして、その間に次の手を考えろ。」
3つとも、つなぎことばの間投詞ばかり。半開きの口を閉じて鼻から息を出すUmm…(アム~)「なんや、単語というより鳴き声やん」と戸惑いましたが、日常大いに重宝してます。今思えば「演奏中何をすればよいか判らなくなったらドラム・ロールをせよ。大抵の困難はしのげる。」と言ったドラムの神様、ビッグ・シド・カトレット(ds)と同じ話だった。
<レッスン2:人さまの話には合槌を打て。>
「フラナガンにとってタマエはガイジンなんだから、彼が何か言ったら、判っているとをアピールしなくちゃいかん。びっくりするような話ならWow! 普通の話ならReally? 同感したらI hear yeah.おいしい話ならGreat! と合いの手を入れろ。ほな会話が弾む。ただし、どれもあまり連発するとアホと思われるから注意せよ。」
<レッスン3.褒め言葉を覚えろ。>
「フラナガンはアーティストや、プレイに感動したら、感動したと伝えろ。」と言うビリー、「“感動度”は、Amazing > Incredible, Unbelievable> Beautiful > Great の順番や、Amazing を一番ええ時に使え。“アメイジング・バド・パウエル”って知ってるやろ?」
「気に入ったら素直に口に出せ。すごく気に入ったのなら、Like でなくてI love it!みたいにLoveを使う。日本人と違って、アメリカ人はlikeとloveの境目がないんだ。すごく気に入ったら I really love it!と強調すればいいんだ。really って言葉は3回まで繰り返していいぞ。I really really really love it! って言っても大丈夫、でも4回繰り返したらアホと思われるから注意しろ。」
<レッスン4.米国社会と人種問題を理解せよ。>
「僕はアイルランド-カソリック系の白人で、人種的に言うとマイノリティだ。アメリカの社会はWASPと言って、実質的に白人(White)で英国系(Anglo Saxon)の新教徒(Protestant)が支配してるんだ。アメリカの白人といっても、一くくりには出来ない。ケネディはWASPでなく、僕と同じアイルランド系だから暗殺された。黒人は昔アメリカで奴隷だったのは知ってるだろ?実は白人は奴隷制度の時代から、内心「黒人は、自分達より、知性も体力もあって、カッコもいいと思い、恐れていたんだ。差別はコンプレックスの裏返し。いまだに白人は、言葉でも音楽でも、黒人を真似ようとしてるんだよ。」
<レッスン5.黒人英語と四文字言葉を理解せよ。>
「黒人が使う言い回しは、反対語が多いんだ。黒人がBad(悪い)と言うときは、時としてGood (良い)という意味の場合があるから注意しろよ。心配ないさ、言い方で判るから。ポルシェを見て、A Baaaad Ride! ってのは、『いい車だね』ってこと。黒人も白人も親しかったら、Swear Wordsといって、fu*k、sh*t,とか言ってはいけない悪い言葉を使うんだよ。黒人は友達をmotherfu*kerって呼んだりする。うまく使うと、ぐっと親しくなれると言うことだけは理解しておいた方がいい。だけどタマエは絶対に自分で使うなよ。」
上の項目以外にも、沢山のミュージシャン用語や、ダサいもの、鼻持ちならないもの、その他、世間で出会う多種多様な人物のキャラクターにぴったりな形容詞、ゲイ・カルチャーやドラッグ、アルコールに関する隠語などが、大学ノートにびっしり。ほとんどが一時的な流行語でなく、今でも十分使えるし、映画を見るときにも重宝してます。なにより、英語で英語を説明してもらうと、日本語の訳よりもよっぽどよく判ったような気持ちになりました。後に、頭をエイゴモードに切り替えるのにも役に立ったと思います。
とうとう最後のレッスンになり、私はビリーに質問しました。
「初めてトミー・フラナガンに会ったら、なんて挨拶すればいいの?」
「ジャズ・ミュージシャンだから、くだけた言い方がいい。What it is?って言いなよ。」
「What it is? 何よ、それ?疑問文か肯定文かどっち?」
「What’s going on? (調子はどう?)っていう意味や。近頃、ヒップな人は皆こう言うんだ。その後に、”ようこそ”って言いなよ。I’m happy you are hereでいいから。」
「もうひとつ、君達にぴったりの言葉を教えてあげる。for the love of it ってわかるかい?ヒサユキとタマエはジャズが好きだからこの仕事を一生懸命やってる。大変なことだけど、すばらしい。for the love of it, not for the moneyだ。(金のためじゃなく、好きだから、心を込めてやっている。) 音楽は金のためにやると、watered down (水っぽくなって感動できない)からな。
ビリーがマネジメントをしている、巨匠チック・コリア(p)
短く有意義な英語レッスンや、ジュリーが果敢に店の調理場に入って作ってくれたメキシコ料理をごちそうになった後、秋の終わりに二人は帰国しました。以来、長いこと音信普通でしたが、一昨年の夏、突然、大阪に来たと、ビリーから電話がかかって来ました。
ビリーはその後、出版業界で仕事をした後、数年前からフロリダに移り、チック・コリアのマネージャーとして、コンサート・ツアーやレコーディング、出版やCMに至るまで、完璧主義の彼の全てのプロジェクトが同時進行できるよう仕切っているのだそうです。今回もCコリアのアコースティック・バンドの来日と、コマーシャル撮影の為に同行してきたのです。マネジャーの分をわきまえ、服装も地味になり、すっかりおじさんになったビリーがどうしても食べたいと言うビーフカレーを作り、寺井尚之と3人でランチを楽しみながら、しみじみ彼は言いました。
「あれから、僕は“スペース・フロンティア”っていう宇宙雑誌を出版したりしたけど、長いこと食えない時期が続いたんだ。だけど、ジュリーは文句ひとつ言わず、しっかり僕について来てくれた。ジュリーにはほんとうに感謝している。今は娘が二人、ハイスクールに通ってるし、チックともうまくやってる。彼は最高のアーティストだよ。」そう言って財布からジュリーと娘さんたちの写真を見せてくれました。ジュリーは相変わらず細くて、髪の長いウィノナ・ライダーみたい。お嬢さんたちもジュリーにそっくりの美人だから、よくモデルにスカウトされるらしい。
現在のビリー&寺井尚之(’05)
We’ve been through a lot.(色々あったよね…) 誰かがそうつぶやき、私は昔教えてもらったとおり言いました。Yeah, we all did it for the Love of it… ビリーは何度も頷き、カレーの匂いに混じって、食卓に思い出と微笑が溢れました。
ビリーがレッスンをしてくれたのも、 for the love of itだったんだ。ありがとう!
さて、次週は初めてOverSeasにトミー・フラナガン3を迎えた日のお話。はてさて、ビリーに習った英語で心を伝えることは出来たのか…週末に更新予定!CU
珠重さんの実践英語習得の話とってもおもしろかったです。
以前ハナさんに「君もミュージシャンか?」かと聞かれて「たんなる(onlyと言ってしまいました)フラナガンのファンです。」とこたえてしまい、ハナさんが「わたしもトミーのファンだよ。」と言われたことを思い出します
。ああ恥ずかしい。
こちらも涼しいとはいえ26、5度の日も何日か続きました。
発表会もあと1週間ですね。お身体に気をつけて夏を乗り切ってください。
ではまた。
寺井にこのエントリーを見せたら、「英語の話、おもろいか?…」とバッサリ一刀両断にされてしまったので、石井さんの励ましが染みました!
「I am Only a Tommy Flanagan fan.」は、完璧な英語ですので、なんにも恥ずかしいことはないと思います。
発表会まで休みなし、頭が朦朧としているところに、早朝ダイアナから「歯が痛い」という電話でたたき起こされ、再び深夜3時すぎまで長電話してしてたので、相当ボケが回っていますが、お互いにがんばりましょう!?
ジョージ・ムラーツのコンサートでお会いできるのを楽しみにしています。