寺井珠重の対訳ノート(3)

“酒バラ”再発見!
 かつて「映画音楽」や「ポピュラー(軽音楽)」というジャンルがあった頃、「酒とバラの日々」という歌は、テレビやラジオの音楽番組で、国内外の色んな歌手がよく歌っていた。
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The Lady Is a Tramp
 今回のジャズ講座では、エラ・フィッツジェラルドの、ベオグラード(旧ユーゴスラヴィア、現セルビア共和国の首都、)での歌唱を聴くことが出来ます。’71年の録音で、丁度、私がTVでよくこの曲を聴いていたのと同じ時期でした。
 大学に入ると、先輩ミュージシャン達は「あんなもんバイショウ(コマーシャルな音楽のことを指すバンドマン用語。)や。」と、北新地やキャバレーの仕事場での演目と見做し、アーティスティックなランキングは非常に低かった。つまり、ピンからキリまでありとあらゆる演奏家たちの手垢にまみれたスタンダードナンバーという感じ。私も同じようなステレオタイプに囚われ、今回の講座の対訳準備の際も、全くノーマークでした。しかし、実際に訳を作る段になると、このジョニー・マーサーの流れるような歌詞は、非常に手ごわく奥深く、「歌詞」や「歌詞解釈」について色々と考えざるを得なかった。
 それというのもエラ・フィッツジェラルドとトミー・フラナガン3の演奏に、しっかりと「歌の心」を聴けたからこそ、愚かなる私が、今まで見過ごしていたことを教えてもらったのです。エラってスイングしていて意味があるなあ!
  この「酒とバラの日々」は、前半と後半に分かれているABAB形式という形なのですが、歌詞には、たった二つのセンテンスしかありません。16小節分の言葉が、綺麗な韻を踏みながら一くくりに繋がっているんです。でも、日本語は英語と語順の構造が違う。歌詞を聴きながら読む為の訳は、なるべく後ろから前への「訳し上げ」を避けたいので、その特徴は残念ながら日本語では出せない。どうぞジャズ講座で、対訳OHPを見ながら、寺井尚之の楽しい解説をお楽しみください。

The days of wine and roses
Laugh and run away
Like a child at play
Through the meadow land toward a closing door,
A door marked nevermore that wasnt there before.
The lonely night discloses
Just a passing breeze filled with memories
Of the golden smile that introduced me to
The days of wine and roses and you.

 エラとトミーを聴きながら、私は歌の情景を色々頭に思い描く…

 明るい太陽がさんさんと降り注ぐ青空の下、見渡す限りの大草原を、まるでフェリーニの映画のように、「酒とバラの日々」の化身である愛らしい子供がキャッキャと笑いながら走って行く。その子を必死で追いかけるのだけど、不思議なことにどうしても追いつくことが出来ない。もう少しで捕まえられると思った途端、その子は不思議な扉に滑り込み、自分もそれに続こうとするのだけれど、扉は閉まってしまう。戸口には“nevermore”(ここから先へは行けないよ)と不思議な文字が書いてあり、自分は途方にくれてしまう。

そして後半になると、同じメロディなのに、情景はガラリと暗転する…
 ふと気が付くと、自分は現実の世界に戻り、深夜、寒々とした寝床にひとりぼっちで横たわっている。今見た情景は、追憶の気持ちが一陣の風になって吹き去った幻でしかなかったのだ。
 過ぎ去った酒とバラの日々、あの人との出会い、自分を輝かしい愛の日々に誘ったその微笑が今も心から離れない。どんなに懐かしんでも、決して輝いていた昔には戻れない。

  相似形の2つのメロディに、フルカラーとモノクロの情景が並置されて、より一層陰影のあるドラマチックな世界を作り上げている。
後半の語り口には、松尾芭蕉が最後に詠んだ俳句「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」を連想してしまいました。
 エラは、前半ではaway, play, またdoor,more,foreと韻を踏み、後半は有声音“z”の脚韻三連発を明快な発音で完璧にサウンドさせて行く。これは英語を母国語としない歌手には、一層至難の業。すっきり音を作らないと、マーサーの詞も生きずにイケテないバイショウの歌となり対訳を作るのが苦痛になります。
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 ジョニー・マーサー(1909-76)はCapitolレコードの創設者の一員。
 作詞はジョニー・マーサー(1909-76)、 彼をアメリカのポピュラー・ソング界最高の作詞家と絶賛する作詞家は多い。エラのソング・ブック・シリーズの内で、作曲家でなく作詞者のソングブックは、随一ジョニー・マーサー集だけだ。
 ジョニー・マーサーはジョージア州サヴァナの富裕な家庭に生まれたが、家業が没落したために、大学進学を辞め、NYに出て芸能界入り、ビング・クロスビーの後釜としてポール・ホワイトマン楽団に参加、先に歌手として名声を得た後、’30年代から、作詞家としても大活躍した。ちゃんと歌うと、丸みのある最高に美しいサウンドが作られる魔法のような歌詞は、彼自身が良い歌手であると同時に、抑揚の大きな言語文化の(大阪弁みたい)南部出身であるためかもしれません。
余談ですが、クリント・イーストウッドがマーサーの故郷サヴァナを舞台にし、彼の名曲をたっぷり使って、「真夜中のサバナ」という趣向を凝らしたミステリー映画を監督している。観ましたか?ケヴィン・スペイシーやジュード・ロウといった個性派がいい味を出してます。
 マーサーは決してマンシーニ専属ではなく、半世紀に渡る作詞活動の間、殆どの一流作曲家と共作している。マーサー自身も作曲をし“Dream”などの名曲をものにした。今回の講座では、That Old Black Magic(ハロルド・アーレン曲)がマーサーの詞です。
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左:Jazz Poetには”I’m Old Fashioned”、右:ハロルド・アーレン集には、“My Shining Hour”収録
 トミー・フラナガンの名演が印象的な“I’m Old Fashined”(ジェローム・カーン)“My Shining Hour”(ハロルド・アーレン)にもマーサーの響きのいい歌詞がついていて、フラナガンのピアノから、独特の丸いゆったりとしたサウンドが聴こえてきます。ホーギー・カーマイケル作曲の“Skylark”も響きが良くて情感が豊かな名作ですよね。講座本に収録されている曲にも、わんさかマーサー作品があります。そうそう、ビリー・ストレイホーンの超有名曲“Satin Doll”のヒップな歌詞も、マーサーがメロディに沿って付けたものだった。
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 「酒とバラの日々」のポスター、キャッチコピーは、“凍りつくような怖さ、でもこれはラブ・ストーリーだ。”
 「酒とバラの日々」は、アルコール依存症で壊れ行く夫婦の姿をテーマにした同名映画の主題歌で、マンシーニ=マーサーのコンビは’62年の「ムーンリヴァー」(ティファニーで朝食を)に続き、2年連続でオスカーを受賞した。映画は高校時代に見たのですが、余りに深刻な内容でガキにはちょっと判りづらかった。今もう一度観たら、映画の良さも判るかもしれません。
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 <ティファニーで朝食を>オードリー・ヘップバーン、この映画は当初マリリン・モンローの主演が予定されていたという。
 寺井尚之と私にとっては、元気な頃のトミー・フラナガンと過ごした日々が、「酒とバラの日々」だったかも知れない。トミーが寺井をNYに呼び寄せ、街中を食べ歩き、呑み歩き、パーティやジャズ・クラブを梯子した日々、そんな時代には決して戻れないけれど、今もそんなに悪くはない。それなりに人生を一定期間過ごせば、誰にでも、そんな戻れない日々に対する追憶は、あるはずですよね。
 毎晩自宅で晩酌をするせいで、なかなか夜中にブログを書ききれない私には、「酒バラ」は、むしろ映画の方が必見かも…
 新年ジャズ講座は1月12日(土)6:30pm開講!CU

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