このあいだのジャズ講座で聴いたジミー・ヒース(ts, ss)は良かったですね!ジミーならではの、すっきりしたアレンジと、豪放で優しいテナーと、色っぽいけどベタベタしないソプラノの音色はジミー・ヒースだけのヴォイス!今の心の中に響いてます。
ジミー・ヒースさんは文字通りハッピー・セイント!ハードバップ全盛期の50年代にレコーディングがないのは、麻薬が原因で5年間刑務所に服役していたためでした。
自伝には、話したくないはずの最悪の時期について克明に書かれています。.読み応えがありすぎて、ここで安易に抄訳するのは控えておきますが、伝わってくるメッセージは、「人間は一人では生きていけない」ということ。はるばる面会に通う家族の愛情。強い父親が面会で号泣する姿。マイルス・デイヴィスが何度もくれた励ましの手紙。ルイ・アームストロングの慰問演奏の癒しの力などとともに、獄中に届いたチャーリー・パーカー、クリフォード・ブラウン、リッチー・パイエルなど、尊敬してきたミュージシャンや、仲間の訃報を聴いたショックなど・・・塀の中の人種差別のエピソードと共に、苦境に陥ったとき、人間はどうあるべきか、色々考えさせられました。
あの頃のジャズ界は石を投げればヘロイン中毒に当たるほど・・逆に絶対に薬をやらないという天才は、ディジー・ガレスピー、パーシー・ヒース、ミルト・ジャクソン、ハンク・ジョーンズくらいしか伝記には出てきません。なのに、なんでジミー・ヒースだけが・・・と感じずにはいられませんが、ジミーの文章は潔い。その後の人生は、公私ともに過去の「負」の部分を償う以上に実りあるものだったからでしょう!
1959年出所の翌日、ジミー・ヒースは運命の女性と出会うことになります。なんてラッキーな人でしょう!自宅で催された、ささやかな復帰パーティで、ジミーは無口な白人アーティストと運命的な出会いをします。それがモナさん。学校で建築デザインの勉強をしたモナ・ブラウンは、フィラデルフィアの博物館でマヤ遺跡の研究アシスタントとして働き、ジャズ・ファンだったので、弟のアルバートに招待されたんです。ジミーとモナは、僅か一年後に結婚。私が出会った黒人ミュージシャンの奥さんのほとんどは白人ですが、それはずっと後の話。公民権運動以前の人種隔離時代、大都市フィラデルフィアですら、白人と黒人のカップルはジミーを含めたった三組しかいなかったそうです。
当然のことながら、モナさんは両親に結婚の意思を伝えると、即勘当!ゆえに上の結婚式の写真はジミーの両親しか写ってない。
ジャズ界に復帰したジミーはフィラデルフィアの外に出るには大変な規制があり、楽旅ができません。そのため、人気のあるマイルスのバンドを辞めざるを得なかった。役所のコネを使い四方八方手を尽くすマイルス・デイヴィスや、復帰直後に、各方面にジミーを推薦する手紙を書いたジョン・コルトレーン、常日頃、余り馴染みのない二人の歴史的アイコンが、この本のおかげで身近に感じるようになりました。
さて二児をもうけ、NYに引っ越すまで、フィラデルフィアの黒人居住地域にあるヒース家に同居していたモナさんは白人故、地域をパトロールする警察官に「お嬢さん、大丈夫ですか?」と何度もたずねられたそうです。食生活や、肌や髪の手入れなど、黒人と白人の生活スタイルはかなり違っていたという話を聞いたことがあるし、順応するには大変だったかも知れませんね。いつまでも育ちの良いお嬢さんみたいで、「意地悪」なんてしたことないようなモナさんには、ジミーとの結婚で苦労した痕跡など微塵にも感じられません。きっとヒース家のご両親も、すごく良い人だったんだろうね!
ジミーの作品のうちでも特に有名な曲、”ジンジャー・ブレッド・ボーイ”、どこにでも売ってる生姜味のクッキーのことですが、モナさんが長男のジェフリー君がお腹の中にいる時、夫婦で近所のクラブにジャズを聴きに行ったそうです。すると、ばったり出会った地元の伝説的サックス奏者ジミー・オリヴァーが、モナのお腹に気付き、「可愛いジンジャーブレッド・ボーイが生まれるんだね!」と祝福してくれたのがきっかけで、あの名曲が創られたのだそうです。つまり、”ジンジャー・ブレッド・ボーイ”は、子供の肌の色を示唆しているのですね!
上の写真はフィラデルフィアのヒース家の近く。モナさんと、ジミーのスポーツカーで運転ごっこをする長女ロスリンちゃん。下は、’64年、NYクイーンズに移ってからの写真。ヒース夫妻とロスリンちゃん、ジミーに抱かれているのがジンジャ^ブレッド・ボーイことジェフリー。大人になってからの子供さんたちにお目にかかったことがあります。
私がモナさんと初めて出会ったのは’90年代、その頃は、高齢の自分のお母さんの世話をするために、週のうち何日かNY-フィラデルフィアを往復していらっしゃったから、後にご両親と和解したのでしょう。よかったです!
どこかのお家におよばれすると、モナさんは、必ず手作りのブラウニーをお土産にに持ってきたりする珍しいアメリカ人!最高に家庭的で、ミア・ファーローみたいに可愛くて知的な女性!70歳を越えても写真の愛らしさは失われていません。全米オープンのテニスコートが見渡せるジミーのお家のキッチンで、一緒におしゃべりしながら洗い物するのが、すごく楽しかったです。
いつまでも輝きを失わない天才ミュージシャン、ジミー・ヒースの陰にモナさんあり!また一緒に夕ご飯食べたいです!
次は、ジミー・ヒースのジョン・コルトレーン観や、モード・ジャズについての感想など、書き留めておきます。
CU