ジョージ・シアリングを悼む

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 トミー・フラナガンと親交のあった巨匠、ジョージ・シアリングが2月14日、亡くなった。Interludeを読みにきてくださっている方なら、「バードランドの子守唄」の作曲家としてより、戦後一大ブームを巻き起こした、「シアリング・サウンド」よりも、’70年代以降にMPSやコンコード・レーベルに遺したリーダー作や、10年間コンビを組んだメル・トーメ(vo)との共演盤、それにフレンチ・ホルンの名手、バリー・タックウエルとオーケストラを擁し、シアリング自身がアレンジしたコール・ポーター集などの作品に、より心打たれた方が多いのではないでしょうか?
GeorgeShearingTuckwell2.jpg ギャラが破格であることと、日本が盲導犬の入国を認めない為に、晩年まで来日公演が叶わなかった。NYで、ジャズ・ピアニストが沢山集まるパーティに行ったときも、ツアー中でシアリングは欠席してた。やっと生で初めて観れたのは’87年のコンコード・ジャズフェスティバル、ピアノを撫でるように弾く。そのタッチのきれいなこと、音の粒立ち、趣味の良さ、洒落ていて、ストレートで、全てが超一流!笑みを絶やさず、さり気なく連発する神業にだんだん怖くなり、ゾ~ッと鳥肌が立ちました。
<Sir George Shearing>
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 英国女王からナイトの称号”サー”を戴いたジョージ・シアリングは、決して裕福でない境遇に育った。1919年、ロンドンの下町生まれ、チェルシー・ブリッジのあるバターシーという地区で、父親は石炭を運ぶ労働者、母は鉄道列車の掃除婦、子沢山の家庭で、中絶を失敗したためか、過度の飲酒のせいか判らないが、末っ子のジョージは生まれたときから盲目であったと言います。
 盲学校で音楽を学び、点字譜面で音楽理論と演奏を習得、卒業後は英国のパブから出発して、ヨーロッパに来る米国のジャズメンの間で有名になり、ジャズのメッカ、NY52番街へ。サラ・ヴォーンの幕間のピアニストが、スター街道の出発点だったそうです。
 「シアリング・サウンド」で一世を風靡た、クインテットは、盲目だと何かに付けて旅がしにくいサー・ジョージのために、超豪華なキャンピングカーを特注し、全米をツアーした。
<天才はボーダレス>
sir-george-shearing-wife-ellie-lee-massachusetts.jpgサー・ジョージはPCや最新オーディオ機器が大好きだった。エリー夫人と。Eメールというものが出来始めたとき、家の中で2階から下にいる奥さんにメールすると茶目っ気たっぷりにラジオで言ってたことがある。
 ’70年代以降のシアリングの演奏解釈は、国境や音楽ジャンルを悠然と網羅するボーダレスなもの、ベートーベンのピアノ・ソナタ「月光」からコール・ポーターの「Night & Day」が始まったり、ブラームスの「間奏曲」をヴァースにして「Taking a Chance on Love」演ったりするのだけど、トミー・フラナガンが「How High the Moon」にヨハン・シュトラウスを入れても、殆ど気づかないの同じで、何の違和感もなかった。
 ちょうどその頃、シアリングは欧米でクラシックを盛んに演奏していたらしい。子供の頃何気なくTVの音楽番組を観ていたら、N響でタクトを振っていた日本人指揮者が、「最近感銘を受けた音楽は」?と訊かれ、こんなことを言っていたのを、今でもよく覚えています。
 「このあいだロンドンのロイヤルアルバート・ホールで、あっちのジャズ・ピアニストと共演したんですよ。 ジョージ・シャーリング(!)って人なんだ。ドビュッシー演ったんだけど、それがものすごい演奏でね。オーケストラ全員総毛立っちゃった・・・」

 今、若い人に「ジョージ・シアリング知ってる?」て聞いても、「知らない」っていう人が多い。
 私が、何となく翻訳を始めた大昔、大好きなホイットニー・バリエットがシアリングについて書いた「Bob’s Your Uncle(これでキマリ!)」というエッセイを日本語に作ったことがあったので、ブログにアップしようと思ったのですが、今読むと、直したい箇所が余りに一杯で躊躇。なにしろ、PCも知らない、ネットもない時代だったし、今ならもっとわかりやすく書いたのに・・・と負け惜しみ。
 皆さんがシアリングのことをもっと知りたいなら、いつか紹介したいと思います。

「ジョージ・シアリングを悼む」への2件のフィードバック

  1. ジョージシアリング逝去の件、大変残念です。
    中学の頃にテナーサックスを吹くようになったことがきっかけで、親戚の伯父がJAZZ演奏のテープを沢山集めてくれました。伯父はジョージシアリングの大ファンで、その影響から、私も彼の演奏のファンになりました。CDはよく集めています。今から10年くらい前に池袋「アムラックスホール」でライブをしたかと記憶していますが、あの時、聴きにいければなぁと今さらながら後悔しています。シアリングのこと、今後も広く皆さんに知ってほしいです。機会がありましたらぜひ、紹介してくださいね。

  2. Lilyさま:コメントありがとうございました。
    伯父さまは大変趣味の良い方だったのですね!
    私にとっては「バードランドの子守唄」よりずっと後の’70年代以降の演奏が「ジョージ・シアリング」のイメージです。
    名まで観たシアリングは一生忘れません。
    自粛モードの世の中でアタフタしていますが、時間を作って、しっかり伝記をブログにUPします。
    励ましを頂いて元気をつけました!
    本当にありがとうございます。

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