“Let’s” Talk about Thad Jones(2)

 地震や台風、心が休まらない毎日ですが、皆様お元気ですか?6月11日(土)ジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」に名盤“Let’s”が登場するのを記念して、今日もサド・ジョーンズのお話をご一緒に!
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<幼年時代>
  サド・ジョーンズは、1923年、3月28日、ミシガン州ポンティアックに生まれました。トミー・フラナガンより7才上、兆速で発展した当時のジャズ史を考えると、一世代上と言えます。父は教会の助祭でギタリスト、母はピアノをたしなんだ。10人の子供達は、音楽に囲まれて育ちました。皆さんもよくご存知のように、5才上兄のハンク・ジョーンズ(p)、4才下の弟のエルヴィン・ジョーンズ(ds)と共にジョーンズ兄弟はジャズ史を語る上で欠かせません。姉のオリーブ(クラシックのリサイタル・ピアニスト)、兄のポールとハンクが順番でピアノの稽古に明け暮れ、なかでもハンクの上達は目覚しく、兄弟全員が大いに発奮したといいます。
  ところが、サド坊やは、ピアノよりも何故かホーンに心引かれて、最初はトロンボーンに憧れた。やがて、デトロイトに来演したルイ・アームストロングを聴き「これだ!」と思い、叔父さんに中古のトランペットをもらって吹き始めた。でもルイのスタイルは「彼独自のもの」と判っていた。まあ、なんて生意気なガキでしょう!子供の頃から、楽団のサウンドがフルスコアで縦割りに把握できた天才なんでしょうね!因みにサドが始めて楽団の編曲したのはなんと13歳の時です。
  サド・ジョーンズの証言(Downbeat 1963 5/9):「ルイ・アームストロングと同じことをしようとは思わなかった。あれは彼だけのスタイルだということに気がついたから。それにコピーするのは好きじゃなかった。おかしな話だが、今もトランペットのレコードは余り持っていない。そりゃ勿論ディジー・ガレスピーのレコードは何枚か持っているけど、殆どビッグバンドだ。なぜかピアノ・トリオのレコードばかり買ってしまう。」
trumpet_cornet.JPG まもなくコルネットに転向し、終生、主楽器としました。コルネットはトランペットより音域が高く、丸みのある明るい朗々とした音色が魅力、ビックス・バイダーベックやナット・アダレイのサウンドを思い出してみてください。
 子供時代、兄弟や音楽仲間のお小遣いは、ほとんどデューク・エリントンやチック・ウエッブ、それにブルースのレコードになりました。やがて、町内の少年楽団に入団、少年といっても、きっと高レベルだったんでしょうね。一晩5$のギャラで、レコードだけでなく新品のホーンも買えました。
  ’30年代の終わりには兄弟バンドを結成、ソニー・スティット(as,ts)との共演を皮切りに、ミシガン州で本格的にプロ活動を始めます。
 終戦近い’43年、20歳になると兵役に就きテキサスなど内地に駐屯、非公式なアーミー・バンドで断続的に演奏、’46年にアイオワ州デモインで除隊後、各地を周りバンド稼業の苦労も味わい、’50年代に故郷に舞戻ります。
<ジョーンズさんちのジャムセッションに行こう!>
 サドが帰郷した時、兄ハンクはすでに街を去り、NYで売れっ子ピアニストとして活躍していました。弟のエルヴィンはギグのない夜にポンティアックの自宅でジャム・セッションを開催し、フラナガン、サー・ローランド・ハナ、バリー・ハリス、フランク・フォスターetc…隣町デトロイトから腕に覚えのある連中がワンサカ車で押し寄せ、「ジャズ虎の穴」的様相を呈していたといいます。
 なにしろジョーンズのお母さんが腕によりをかけた夜食をたっぷり用意して応援してくれるし、高度なバップ理論を学べるのですから夢のセッションです。でもセッションに参加できるのは、本当に上手な子だけ。ピアノの一番手がトミー・フラナガンでした。後輩、サー・ローランド・ハナは、クラシックからジャズに転向したばかりで”How Long Has Been Goin On?”を一緒に演らせてもらったけれど、サドがどんどんコードを変えていくのに付いていけなくて・・・』と嘆くのですから恐るべし。
<伝説のクラブ”ブルーバード・イン”>
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 やがて、サド・ジョーンズはデトロイトのジャズクラブ、”ブルーバード・イン”のレギュラーバンドに入ります。メンバーは、バンドリーダーがテナー奏者、ビリー・ミッチェル(後にカウント・ベイシー楽団に入団)と、若手のトップジャズメンたち、トミー・フラナガン(p)、ジェ-ムズ・リチャードソン(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)という凄い編成で、ZecやElusiveなど『Let’s』にも収録されている作品群やパーカーやガレスピーのバップ・チューン、アフターアワーズはソウルフルなブルースまで、デトロイト・ハードバップ・ジャズの真髄が確立されたのです。
 ’50年代の”ブルーバード・イン”はデトロイトで最も腕の立つミュージシャンを集め、最先端のモダン・ジャズを聞かせるクラブとして内外から注目を集めていました。ミュージシャン達もリスナーも歴代のレギュラー・バンドの中で、ミッチェル&ジョーンズのこのコンボが最高だったと口を揃え、サド・ジョーンズ自身も、このコンボが最強だったと回想しています。
 彼らの演奏はNYで活躍するトップ・ミュージシャンにも大きく影響を与えました。
brown_Incorporated.jpgトミー・フラナガンの証言:「マックス・ローチ(ds)とクリフォード・ブラウン(tp)は街に来るたびに、サドのアレンジを聴きに来ていた。ブラウンーローチ・クインテットのレコーディングには、サドの影響が色濃く出ている。例えば、”I Get a Kick Out of You”でワルツを入れる有名なヴァージョンがそれだ。僕達のテンポの切り替えにマックスは夢中だった。」
 ドラッグのリハビリでデトロイトに滞在していたマイルス・デイヴィスは、サドのコルネットを聴き、「涙を流しながら佇んでいた」とハナさんは証言しています。(Before Motown p.130)それは感動の涙?それとも悔し涙だったのだろうか?ライバルのプレイを聴いて泣けるなんて、なんとナイーブな人だろう!私はこのエピソードを聞いてマイルスが凄く好きになりました。
<デトロイトにて:チャーリー・ミンガス >
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 ベースの巨匠チャーリー・ミンガスも、”ブルーバード・イン”のサド・ジョーンズに天啓とも言える強烈なショックを受けた一人でした。そして自己レーベルでサドをレコーディングすることを決意。’54年にダウンビートのエディター、ビル・コス宛てに、サドを絶賛した書簡を送ります。以下はダウンビート誌’63 5/9号に公開された文面です。
 “サドは僕の人生で遭遇した内で最高のトランペッターだ。クラシック音楽の技量が完璧に備わっている。クラシックのテクニックでスイングしてみせた史上初のトランペット奏者だ。…弟のエルヴィンはドラムで双璧の実力者。サドを、仲間のミュージシャンは、「トランペットの救世主」と呼んでいる。
FatsNavarro.jpg100629_clifford-brown.jpg 左:Fats Navarro(’25-’50) 右クリフォード・ブラウン(’30-’56)
 サドは信じられないほど凄い。ディジー・ガレスピーやファッツ・ナヴァロさえ苦手にすることを、いとも簡単にやってのける。この二人以外ならハナから思いつかないこと、マイルズですらやったこともないことだ。ディズがバードのプレイで聴き、ファッツならば出来たのでは・・・と期待したことをだ。(ファッツの死後)我々はひたすら待ち続けた。そしてクリフォード・ブラウンが現れた。(この手紙はブラウンの早過ぎる事故死以前に書かれたものである。)ブラウニーは、もしもファッツが、麻薬に耽溺せず一週間練習していたら…と思うプレイをした。
 だがとうとう出現した!ファッツが怠ける間に練習し、ブラウンがコピーにいそしむ間に考えるトランペッターが!まるでヴァルヴをつけたバルトークが、神に授かった鉛筆で譜面を書いているようなものだ。
 サド・ジョーンズは、アメリカ音楽史上初めて第一コーラスをホールトーンの束から始める作曲家だ。…セカンド・コーラスはファースト・コーラスの展開型…それを聴きながら、僕達は深く息を吸う。彼が吹くのを止めてしまわないか、あるいはそれ以上続けると、がっかりさせれらはしないかと恐れながら。もしそうなら本物じゃない。その64小節はただの偶然で、僕らは、改めてバードを亡くした事を嘆くのみ。だが彼はミスしなかった!…”

 ミンガスは強面(コワモテ)だけに説得力がありますね!ミンガスに「クラシックのテクニックを全て備える演奏者」と言わしめたサド・ジョーンズ、実は、初心者の時に基本的な吹き方を教わっただけで、後は全て独学だったんです。楽器はおろか、『Let’s』で聴ける時代を超えたモダンな作曲法から、ビッグバンドの編曲に至るまで、全て自分で習得したんですって!
fabulus6004.jpg ミンガスは’54年自己レーベル、”Debut”で、ハンク・ジョーンズ(p)、ケニー・クラーク(ds)、フランク・ウエス(ts,fl)とミンガス自身でレコーディングし好評を博します。(『The Fabulous Thad Jones 』)、ElusiveやBitty Dittyも収録されており、フラナガン・バージョンとの違いが興味深いです。ところが、このアルバムが発売された時、すでにサド・ジョーンズはカウント・ベイシー楽団に入団して、ソロ活動の出来ない状況になっていた。
 運命の女神はいたずらですね。
(続く)

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