対訳ノート(34) 「追憶」

 金環日食や雷雨もあった奇妙な5月よ、さようなら!
 明日から6月、OverSeasでは、寺井尚之プロ活動40周年を記念して色んなイベントを開催いたします。ぜひこの機会にご来店お待ちしています。
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<1975年 エラ&トミー in Kyoto >
  6月2日(土)は、寺井尚之がプロ入りを決意するきっかけとなったエラ・フィッツジェラルド+トミー・フラナガン3の伝説的コンサートの模様をご一緒に聴きながら、寺井尚之が解説いたします。トミー・フラナガンは、この来日時に名リーダー作『トーキョー・リサイタル』( A Day in Tokyo )を録音しました。このコンサートも”チェルシーの橋””キャラヴァン”などの収録予定曲を演奏し、会場からすさまじい拍手と声援をもらっています。前半がトミー・フラナガン、キーター・ベッツ(b)、ボビー・ダーハム(ds)とのトリオで、前座とは到底思えぬ演奏を7曲、休憩をはさまず、そのままエラが登場して、ボサノヴァ・メドレーや、十八番の”ハウ・ハイ・ザ・ムーン”など、3つのメドレーを1曲と数えて、一気に全11曲!あっと言う間の怒涛のコンサートです!
 ジャズに限らず、現在もこのような構成のショーで魅せる歌手はいるのでしょうか?
  このコンサートが行われたのは1975年(昭和50年)、寺井尚之はすでに新地でプロ活動、世の中では、ベトナム戦争終結、マイクロソフト社が設立された年、広島カープが優勝し、日本の街に流れるポップスは「シクラメンの香り」や「昭和枯れすすき」だった・・・その頃は、街にヒット曲は流れていて、好きでなくても共有できたんです。
 私はテキトーな受験生で、いくらエラ・フィッツジェラルドが好きでも、5000円のチケットを買うというのはあり得ないことでした。
 さて、音源とともに、皆さんにお見せする対訳を作るため、久しぶりにエラを聴きこむことになりました。エラの歌唱は、アドリブあり、他曲の引用あり、メドレーあり、時々歌詞も間違えるから、ぼうっと聴いていると書き取りが出来ません。
 今回は、エラとフラナガンが、聴衆のリアクションや喝采を想定し、余人では考えられない箇所での転調はもちろんのこと、小節数まで変更しながら、プログラムを練り上げているのを聴いて鳥肌が立ちました。そのあたりは寺井尚之の、心の籠った解説をじっくり楽しんでくださいね。
<Some of the Now Sounds 

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  音楽監督としてのフラナガンは、歌手エラ・フィッツジェラルドを「喝采こそ命」と評しました。お客さんが喜んでくれるなら、ヒット・チャートに入っているコマーシャルな歌も、どんどん歌っちゃうエラに対するビタースイートな表現です。
 ストレートアヘッドな題材は当日の解説に委ね、ここでは、エラ流で魅せるバーブラのヒット曲「追憶」(The Way We Were)について書きましょう。
 ミドル・エイジの方なら、バーブラ・ストライザンドもロバート・レッドフォードもご存知ですよね!「追憶」は日本でも大ヒットした同名恋愛映画の主題歌。映画のロードショウは、コンサートの8か月前ですから、まさに「旬」な歌だったわけ。
 作曲はバーブラのリハーサル・ピアニストから出発して、オスカーやエミー賞など、英米のあらゆる賞を総なめにしたマーヴィン・ハムリッシュ、作詞はアラン&マリリン・バーグマン夫妻。バーグマン夫妻は、ミシェル・ルグランの英語詞を一手に引き受けており、スティーブ・マックイーン主演「華麗なる賭け」の主題歌、”The Windmills of Your Mind / 風のささやき”や、カトリーヌ・ドヌーヴ主演「ロシュフォールの恋人たち」の主題歌”You Must Believe in Spring “など、アメリカのポップソングと一線を画す、陰影のある歌詞で、ルグランの米国制覇に一役かっています。
 「追憶」は典型的メロドラマ、反共マッカーシズムの風が吹き荒れる戦後の米国で、ノンポリな劇作家に扮するレッドフォードと、政治活動家バーブラが、激しく愛し合いながらも、反発し合い、悲恋に終わるという筋書きで、この物語の背景にあるWASPとユダヤ人の人種的軋轢とは無関係に、日本でも大ヒットしました。
 エラがバーブラのヒットソングを、オリジナル通りに歌ったのは「足跡シリーズ」上皆無で、ここでも、若干の変更を加えて歌ってる。ネット上の「追憶」の訳詞を拝見すると、冒頭節“Mem’ries- light the corners of my mind”を「思い出は心の片隅に光を灯す」とし、次の節”Misty water-color mem’ries”を「ぼやけた水彩画のような・・・」と解釈しているサイトが多かった。実際は、「(思い出したくない)心の隅々を照らし出し」「涙にぼやけて水色になってる思い出」という意味で、このギャップは英米人と日本人の「追憶」に対するイメージの相違なのかもしれません。
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The Way We Were – 『追憶』

Alam and Marilyn Bergman / Marvin Hamlisch
追憶は
心の隅々まで照らし出す、
涙色の思い出、
私たちのあの頃。
散らばった写真に、
置き去りにした笑顔。
微笑み合ってる、
あの頃の私たち。
愛することが簡単だったあの頃、
時間が二人の物語を書き換えたの?
もう一度やり直していたら、
うまく行った?
うまくできた?

思い出は、
とても美しいのに、
思い出すのは余りに辛い、
忘れることも難しい、
だから、
楽しいことだけ思い出す、
いつまでも忘れない
私たちのあの頃。
 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 
 日本語はエラさんのヴァージョンです。原歌詞はスペルが少し違うけど、ここ。
 バーグマン夫妻の歌詞は、”M”という音は持つ魅力を最大限に引き出しています。ひねりの効いた語りかけ、レトリックの巧みさは、阿久悠や安井かずみといった、同時代の日本の作詞家に共通していて、私は大好き。でも下手な歌手には、手ごわすぎるかもしれませんね。Yutubeで 夫妻のインタビューを聞くと、映画での作詞ポリシーは「映画の邪魔をしないこと」で、この「追憶」では、2通りの歌を作り、シドニー・ポラック監督やバーブラと相談の上、最初のバージョンを使ったというようなことが語られていました。同じ会社のアーティストの場違いな歌を、堂々と主題歌にする昨今のハリウッド映画とは違いますね。
 では、プロ入りを決意したあの頃、寺井尚之が”The Way He Was”を語る、土曜日の秘蔵音源講座をお楽しみに!
CU!

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