Jazz it’s Magic とデトロイト・ジャズ・シーン

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Magic.jpg  シーツをかぶり、白いパンスの上に赤い水着…あまちゃん??これ誰がデザインしたの?

 『Jaz…It’s Magic』(1957年9月録音)が、14日(土)の「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」に登場します。CD化されたときは、当たり障りのないジャケットでした。いずれにせよ、中身はれっきとしたハードバップ!

 NYっ子、ジョージ・タッカー(b)以外、全員がデトロイト出身ですから、CDのライナー・ノートに書かれているように、Savoyがら出た、もうひとつの『Jazz Men Detroit』なのかも知れません。

  

 フロントのカーティス・フラー(tb)とソニー・レッド(as)は、この年に一緒にNYに出てきたばかりの新進ミュージシャンでした。

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 フラーは、永遠の愛聴盤『Blues-Ette』など、今後の足跡講座に頻繁に登場しますが、レッドはこの一枚だけです。 

 ソニー・レッド(表記が色々ありますが、正しくはSonny Red)は、本名、シルヴェスタ・カイナー、1932年デトロイトのノース・エンドと呼ばれる黒人居住区に生まれました。フランク・ガント(ds)やドナルド・バード(tp)と幼馴染、アレサ・フランクリンやダイアナ・ロスもこの地区出身です。

 

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 レッドは、デトロイトの若頭的存在だったバリー・ハリス(p)の指導をうけ、一人前のバッパーに成長、1954年になるとハリスやフランク・ロソリーノ(tb)と共演、同僚にはダグ・ワトキンス(b)がいました。一足先にNYに進出し、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの創設メンバーとなったワトキンスの推薦だったのか、同年、NYで短期間、メッセンジャーズで活動し、’57年に再びフラーとNY進出することになるわけです。

 この年、レッドはフラーのリーダー作『New Trombone』や、ポール・クイニシェットのアルバム『On The Sunny Side』 に参加し、快調なスタートを切るのですが、レッドには肺疾患の持病があり、ホーン奏者として致命的な問題でした。

 レッドは翌1958年、父が亡くなったのを機に一旦デトロイトに活動の拠点を移します。トミー・フラナガンやサド・ジョーンズ、ビリー・ミッチェルなど、デトロイト・ハードバップを牽引した天才たちがNYに去った後の、”ブルーバード・イン”やデトロイトのジャズ・シーンはどんな様子だったのでしょう?


<トミー・フラナガン後の”ブルーバード・イン”> 
sonny_redSCN_0017.jpg“ブルーバード・イン”にて:NYのから帰郷後のソニー・レッド (1932-1981) 

 

 OverSeasで寺井尚之が演奏を続けているデトロイト・ハードバップの基礎を作った、トミー・フラナガンやサド・ジョーンズでおなじみの“ブルーバード・イン”、サド&エルヴィンのジョーンズ兄弟やトミー・フラナガンは、いわば楽天イーグルスのマーくんのようにメジャー行きが約束される別格的存在でした。

 彼らが去った後、後輩ミュージシャンを指導し束ねるボス的な役割は、自宅で私塾的セッションを開催するバリー・ハリス(p)や、昼間はクライスラーの工場で働きながら、精力的に演奏していたユセフ・ラティーフ(ts,ss,etc…)が果たしていたようです。

  

tommy5994508.jpg ”ブルーバード・イン”は地元の精鋭でハウスバンドを組織し、そこに一流ゲストを組み合わせることで人気を博しましたが、そのためにハウス・ミュージシャンがNYにスカウトされ流出するという図式になっていたのかもしれません。 1957年、店は一旦改装、再オープンのときには、全国区クラスのモダン・ジャズ・バンドをブッキングする方針に転換。経営者、クラレンス・エディンスが、マイルズ・デイヴィスやミルト・ジャクソン、ソニー・スティットなどのスターと特に懇意なタニマチで、比較的安いギャラで導入できる利点があったためでした。以後2年間はデトロイトで唯一ビッグ・ネームを出演させるクラブとして君臨。再オープンした年は、モダン・ジャズ界で人気ナンバー1を誇るジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイを擁するマイルズ・デイヴィス・セクステットを始め、スターの公演が目白押し、さらにカウント・ベイシー・オール・スターズとして、サド・ジョーンズ、ビリー・ミッチェルが里帰り公演を行い、大盛況であったといいます。

 この時期の”ブルーバード・イン”で、ハウス・バンドというのは大物ローテーションの谷間を埋める役割で、インターナショナル・ジャズ・バンドというグループ名。アリス・コルトレーン(p)の義兄となるアーニー・ファーロウ(b)がリーダーで、フロントに、帰郷したソニー・レッド(as)が、そして ヒュー・ロウソン(p)、オリヴァー・ジャクソン(ds)というメンバーでした。(上の写真) レッド以外のメンバーは3人とも、ユセフ・ラティーフの舎弟といえるミュージシャンたちです。


 デトロイトで唯一、大物が出演するジャズ・クラブとして再び隆盛を誇るった“ブルーバード・イン“ですが、そのうち、同じような業態のライバル店が出現、そんな状況で、ミュージシャンの出演ギャラが高騰、やがて満員になってもペイできない状況になり、モータウン・ミュージックへの流行の移り変わりで、ジャズ・シーンは衰退していきます。

 だんだん身につまされてきたので、今日はここまで!

 「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」は毎月第ニ土曜日 6:30pm- OverSeasにて開催中!

受講料2,625yenです!(学割半額)

「Jazz it’s Magic とデトロイト・ジャズ・シーン」への4件のフィードバック

  1. Jazz It’s Magicにドラマーで参加のルイス・ヘイズ。
    昨日(12日)から今週日曜(15日)までの4日間
    Jazz at Lincoln Center内Dizzy’s Clubに出演中。

  2. 藤岡先生、ご出張中コメントありがとうございます。ヘイズは“ブルーバード・イン”から漏れ聴こえるエルヴィン・ジョーンズを聴きながら育ったドラマー。いわばポスト・フラナガン世代で、盟友ダグ・ワトキンス(b)が創設メンバーだったジャズ・メッセンジャーズ・メモリアル・バンドのドラマーという微妙な役割もこなしています。
     貴重なインタビューが取れたでしょうね。ご帰国を楽しみにしています。

  3. Tamae さん、ご無沙汰しております。
    「Jazz It’s Magic」のジャケットが変更されたのは知りませんでした。あまり品のないジャケとはいえ、一目でサヴォイとわかるデザインはジャズの薫りがします。
    財政破綻したデトロイトの現状を思えば良い時代の良いジャズでした。
    スージーこと黒岩静枝さんが、今日関西ツアーに出発しました。9月17日に大阪「RUG TIME」でライブです。札幌で一番のジャズシンガーですので、機会があれば是非お聴きください。こちらから同行するのは歌うピアニスト山下泰司君と泣くドラマー佐々木慶一君です。

  4. Dukeさま、ご訪問ありがとうございます!
     これがサヴォイ的ジャケットなのですね!キッチュなVenusなのかな??
     ブルーバード・インは史跡として保存しようという動きがあったのですが、なかなか難しそうです。
     黒岩静枝さんは大阪でも有名ですよ!ぜひ伺いたいところですが、残念ながらうちも営業日です。ライブのご成功お祈りしています。
     どうもありがとうございました♪
     
     

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