その男、凶暴につき (1) アル・カポネとジャズ

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(Al Capone 1899 – 1947)

 毎日寒いですね!今週は「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」の下準備で必死のパッチ。今回はミルト・ジャクソン(vib)の名盤『Bags’ Opus』を中心に、コールマン・ホーキンスのレギュラー時代前夜のフラナガン参加盤を楽しみます。

  さきほど寺井尚之とコーヒー飲みながら、ちょっと講座の内容を聴いたのですが、ミュージシャン耳が捉えた名盤の切り口は、ディスク・レビューではなかなかお目にかかれない興味深いもの。前回の講義よりずっと深く楽しく楽しめそうです。ミルト・ジャクソンやベニー・ゴルソン・・・バッパー、ハードバッパーと言われる一流の人たちの音楽に対する「姿勢」は、ルイ・アームストロングはじめ、偉大なる先人から脈々と受け継がれてきたものだということを、サウンドと共に実感していただけますよ!

 講座のラストに紹介する『Let’s Have a Ball』のトロンボーン奏者、タイリー・グレンはルイ・アームストロングと長らく共演したプランジャー・ミュートの達人、前々回のアイリーン・ウィルソン同様、ジャズエイジの栄華を知る名手です。禁酒法のおかげで富と権力を得たマフィア、1920年代のジャズの発展は禁酒法とギャングなしには語れません。

 teddy_wilson_talks_jazz.JPG テディ・ウイルソンは自伝『Teddy Wilson Talks Jazz』で、その時代の体験をヴィヴィッドに語っています。要約するとこんな感じ。
 
カポネが秘密裏に経営する会員制高級クラブ””ゴールド・コースト”の会員証は18金でできていた。深夜、カポネが現れると、貸し切りになる。カポネもマシンガンを持つ子分たちもジャズが大好きだ!カポネが贔屓にするアール・ハインズ楽団の演目はずべて知ってる。彼らのお気に入りミュージシャンは、サックスならジョニー・ホッジスかベニー・カーター、トランペットならルイ・アームストロングかジャボ・スミスだった。(趣味がいいですね!)
 バンド演奏が始まると、王様カポネは始終バンドスタンドに上がってくる。(それはリクエストをするためではなく)ミュージシャンのポケットにチップの100ドル札を入れてやるためだ。時には一晩のチップが一ヶ月分のサラリーより上回ることもあった。大恐慌が始まった頃だったが、おかげで私はクライスラー・インペリアルに乗っていた。
 カポネが飲んでいる間、店の外には防弾ガラス仕様のキャディラック3台と15人の屈強な用心棒が待機していた。
 私は演奏以外に、彼らの仕事をしたこともあるよ。バイオリンのケースにマシンガンを入れて運んだんだ。
 カポネはギャングだし人も殺す。その資金源は密造酒、売春、麻薬…ろくなもんではないが、彼らの潤沢な富みの一部はミュージシャン達に流れ、我々の懐は大いに潤った。
 もうひとつ、カポネのいいところは、シカゴの密造酒販売の利権を黒人のマフィアに任せたことだ。カポネは白人のファミリーは全滅させたが、この黒人一家には手厚かった。おかげでそのファミリーは米国黒人史上第二の億万長者となった。

 <ファッツ・ウォーラー拉致事件>

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 ギャングがジャズ通なんて今じゃ到底考えられませんが、私の学生時代、組事務所が並ぶミナミの街に『デューク』というジャズ・クラブがありました。そこに田村翼(p)さんのライブを聴きに行ったら、最前列に着流しの親分さんみたいな人が子分を連れて真剣に演奏に聴き入っていたのを観たことがあります。

 カポネのジャズ・ファンぶりについて、とてもおもしろいエピソードがあります。1926年1月17日、寒い夜のこと、シカゴの繁華街にあるシャーマン・ホテルにファッツ・ウォーラー(p)がに出演し大当たりをとっていた。ファッツ・ウォーラーは道化の仮面をかぶった天才音楽家、ピアニスト、歌手、作詞作曲家、ファッツはトミー・フラナガンの子供時代のアイドルで、晩年には彼のレパートリーを再発掘していました。その夜の演奏がハネてファッツがホテルから出てくると、屈強なその筋の兄さんたち4人に取り囲まれた。ぽっこりしたお腹にピストルの銃身がめり込む。ファッツは否応なしに、脇に停めてある黒塗りのリムジンに押し込まれた。

hawthorne_500.jpg 「もうこれで俺もお陀仏だ・・・神様・・・」ファッツは生きた心地がしなかったそうです。降ろされた場所はシカゴ郊外のハートホーン・インというホテルだった。そこは、アル・カポネ一家の根城。ホテルに入り、ファッツが強引に連行された場所は、処刑場ではなく、宴会場、ステージ上のピアノの椅子だった!

   主賓席に座る男の頬の傷を見てファッツは、その男こそシカゴの帝王、カポネだとわかった。1月17日、その日はカポネ親分の27才の誕生日だったんです!  ファッツを拉致した屈強な男たちは、敬愛する親分に喜んでもらえるプレゼントをあれこれ考えた結果、極上のジャズを選んだというわけ!手段は怖いが、ケーキいから登場する裸の美女ではなく、ファッツ・ウォーラーをサプライズにしたとは、なんとも粋な兄さんたちです。

 多分生きた心地がしなかったファッツは、気合を入れ直し歌って弾いた。最高の技量とユーモア・センス!美しいピアノ・タッチ!満員のお客は大喜び、中でもいちばんウケていたのが主賓のカポネ。人種差別の時代、黒人ミュージシャンは一流クラブで演奏しても、お客と同じ席で食事もできない。正面玄関から出入りもできない。でもジャズを愛するカポネは野暮なことは言わない。食いしん坊のウォーラーに極上シャンパンやキャビア、最高の食事をたんまりふるまって、演奏を続けさせた。拉致されたって、自分の音楽を喜んでくれるなら、それにごちそうも一緒にあるのでから、きっとノリにのった演奏になったんでしょう。

 一曲終わると、「最高だ!」と喜ぶカポネや、他の客が100ドル札のご祝儀を次々とウォーラーのポケットに突っ込む、そしてまた演奏、という繰り返し・・・そのパーティは3日3晩続いたといいます。演奏が終わると、男たちは来た時と同じリムジンにファッツを乗せて、シャーマン・ホテルまで安全に送リ届けた。ポケットに入りきらないチップ、お札の山、その合計3,000ドル、今の貨幣価値でざっと300万円だった。

 

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 そんなわけで、ジャズはニューオリンズのコンゴ広場で芽吹き、娼館をゆりかごにして、禁酒法とギャングの潤沢な経済援助を受けながら発展した歴史があるのです。禁酒法が終わりを告げて、ギャングの資金源が変貌するとともに、ミュージシャンとギャングの関係も大きく様変わりしていきます。

   次回はタイリー・グレンの『Let’s Have a Ball』をリリースしたルーレット・レコード、フラナガンとグレンが出演していたジャズ・レストラン『ラウンドテーブル』そして『バードランド』の経営者、果てはジョン・レノンまでゆすったマフィア、モリス・レヴィーについて。

「その男、凶暴につき (1) アル・カポネとジャズ」への2件のフィードバック

  1. 珠重さん、初めまして。
    motoさん経由で来ました。79年5月以来、L.A.郊外のコロナと云う町に住んでいます。
    その前は、大阪堺市の住人でした。
    「デューク」は、懐かしいです。71年1月に、私が初めてジャズ・ライブを聴いたのが「デューク」でした。
    宮本直助のカルテットで、東京から海老原と云うドラマーが、来阪して参加していました。
    ピアノとテナーは、誰だったか全く覚えていません。(泣)
    今度、里帰りした際は、お邪魔したいと思います。
    では、今後とも宜しくお願い申し上げます。

  2. NetHeroさま、こんにちは!
    motoさまのブログ、美しくてコンテンツが豊富ですごいですね!
     堺から西海岸にご在住ですか!私の実家はおとなりの高石なので、高校はチンチン電車にのって堺に通っていました。高校がジャズ盛んでしたので、チャーリー・パーカー好きになって今に至っております。
     今回ご縁ができて嬉しいです。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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