『Sooth As the Wind』やタッド・ダメロンのことなど

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7月の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」に『Smooth As the Wind / Blue Mitchell (Riverside ’61)』が登場!タイトル・チューンとして、タッド・ダメロンが書き下ろした “Smooth As the Wind”や”A Blue Time”は、’70年代以降フラナガンが愛奏し名演目となりました。

blue-mitchell.png ブルー・ミッチェルの艶やかで伸びのあるトランペットをフィーチュアした10ピースのバンドにストリングス、プログラムからアレンジまで入念な準備と、多額の経費をかけたものの売れなかった。
だけど、商売と音楽の質は無関係。アルバムの内容は、経費に余りある出来!自分の録音作品に決して満足することのなかったブルー・ミッチェルが終生愛し、唯一誇りとした作品になりました。

orrin_cannon1.jpg 《Riverside》のプロデューサー、オリン・キープニュースがミュージシャンの登用やアルバム企画で、アドバイザーとして、最も信頼を寄せていたのがキャノンボール・アダレイでした。インディアナポリスで活動していたウエス・モンゴメリーを専属契約したのも、キャノンボールの進言だった。そのキャノンボールが、ブルー・ミッチェルを専らスモール・コンボでプロデュースしていたキープニュースに進言した。
「ブルー(ミッチェル)のサウンドは”ちょっとしたストリングス・カルテットのようなもの”を入れて盛り上げるのがいいんじゃないかな?」その一言に喰いついたキープニュースは、ベニー・ゴルソンとアレンジ企画を立てて、ブラスやストリングスを加えようと話は膨らむばかり。そのうち、ビバップ時代に鳴らした往年の作編曲家、タッド・ダメロンがミッチェルの使い方をかなり心得ているという話を耳にした。タッド・ダメロンといえば、ビバップ時代にディジー・ガレスピーの側近として、ミュージシャン達に表現の奥義を指導した司令塔、大胆かつ繊細な編曲で、ビバップの「美」を開花させた伝説の巨匠でした。

<獄中のダメロン>

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その頃ダメロンは、麻薬所持、売買の罪で2度の逮捕の後に、ジャズの檜舞台から遠く離れたケンタッキー州レキシントンで服役中でした。都会の喧騒を離れた地で奉仕活動に従事し、新しい人生を夢見て早3年。ダメロン起用のアイデアをキープニュースに摺り込んだのは誰だか分かりませんが、模範囚として出所を目前にしたダメロンに、なんとか復帰への道筋を付けてやろうと画策した賢明な仲間であったのかもしれません。

とにかく、伝説のダメロンの”美”バップ手法でミッチェルの魅力を全開にするというアイデアは、キープニュースのプロデューサー魂を虜にしてしまいました。現場で指揮をとる軍師ベニー・ゴルソンは、10年前、R & Bのブル・ムースOrch.でダメロンからアレンジ術を学んだ舎弟、だから例えダメロンが獄中でも、彼の音楽的意図をうまく音に出来るに違いない!そう確信したキープニュースは、手紙を書いて、獄中のダメロンに作編曲を依頼した。

「自分は忘れられていなかった!」

手紙を受け取ったダメロンはどれほど意気に感じたことでしょう。麻薬に頼らなくても、溢れるほどのアアドレナリンが分泌されたに違いない!
ケンタッキーとNY、長距離電話や手紙で、選曲や編曲作業がトントン拍子に運びます。ダメロンは、家事の奉仕活動をさせてもらっていた家庭のピアノを使わせてもらいながら、新たに”Smooth As the Wind”と”A Blue Time”の2曲を書き下ろし、スタンダード曲”But Beautiful”や”Nearness of You”、獄中の真情を吐露する”The Best Thing in Life Is Free (人生最良のものは無料で手に入る)”、それからミッチェルにとって気心知れたホレス・シルヴァーの作品”Strollin”を、いかにもダメロンらしい耽美的なイメージで編曲した。
現場では、ダメロンの指示に従い舎弟ゴルソンが指揮、3回のスタジオ・セッションによって出来上がったのがこのアルバム。

彼が塀の中で過ごす間、ジャズの潮流の変化にもまれてきた無二の親友、フィリー・ジョー・ジョーンズや往年の仲間は、獄中で書いた譜面を前にしてどんな感慨を持ったのでしょう?

一方、当時30才の若手フラナガンは、伝説のダメロンによる、出来立てほやほや、湯気の出るようなスコアを初見する興味と興奮で、静かな闘志を湧き立たせていたはずです。

<トミー・フラナガン>

フラナガンにとって、ダメロンの書き下ろした曲は、「とても親切」なものだったようです。とにかく彼の作品はどれもこれもオーケストラのためのカスタムメイドで、「曲の中にオーケストラが装備されている」便利な音楽、ピアノ・ソロ、あるいはデュオ、トリオで演奏しても、自然とオーケストラ的な味わいが生まれる。フラナガンはかつてマリアン・マクパートランドのラジオ番組で、そんな風に語りました!いかにもフラナガン!凡人には考え付かないことですね。

<ダメロンの講評>

さて、このレコーディングから数カ月後、出所したダメロンが、出来上がったアルバムを聴いて感想を述べています。全トラック中、最も高得点を付けたのが”Smooth As the Wind”と”But Beautiful”。その理由は、他のトラックの録音では「少々ストリングスが勝ちすぎている」から、ということでした。
録音に関わった様々な人たちに、大きな影響を与えたアルバム。7/11(土)「トミー・フラナガンの足跡を辿る」では、もっと色々楽しい音楽の話が聴けますから、ぜひ覗いてみてくださいね!

6a00e008dca1f0883401b8d0e04791970c-400wi.jpg40余年後:プロデューサー、オリン・キープニュース

「《リヴァーサイド》は、製作に大金を突っ込む悪癖があった。ミュージシャンと余りにも深く交わりすぎ、身内のように思ってしまったので、どうしても彼らよりの作り方をしてしまった。やれビッグバンドだ、ストリングスだと言われ、到底、採算の取れない企画を通した。それで自ら墓穴を掘り、倒産した。馬鹿だよ!だが、今になって、このアルバムを聴くと、つくづく自分が馬鹿でよかったと思う。

 たとえ、あのときの彼らの演奏を今聴けるだけでも。」
(Jazz Times 2005 March)

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