Evergreen物語(4)恋は終わり、唄は続く: I’m Thru with Love

 お正月明け、やっぱり寒いですね!十日戎の賑わいから離れ、Evergreen物語を書いています。
 今日は第4曲目、“I’m Thru with Love”のお話ですが、昨年10月『Evergreen』の録音よりずっと前、対訳ノートに、マリリン・モンローの映画『お熱いのがお好き』に因むお話を、お調子に乗って沢山書きました。
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<A Song of Great Depression>
 “I’m Thru with Love”が最初にヒットしたのも、『お熱いのがお好き』の時代設定も1931年、アメリカは禁酒法時代、’そして世界恐慌(Great Depression)真っ只中です。
 米国では、成人男子の内、4人に一人が失業していたそうですから、今の不況よりも厳しかったかも知れません。大学を出た人たちが、教会が出してくれる食事を求めて列を成して並んでいたという時代。今頃の寒さに耐えるのは、さぞ厳しかったことでしょう。
 そして、不況の時代を反映した当時のポップ・ソングは、“Songs of Great Depression”(恐慌時代の歌)と呼ばれています。
 
 例えば”I’m Thru with Love”と同じくビング・クロスビーの歌った“Brother, Can You Spare a Dime”はこんな歌詞です。
「俺もひと旗上げようと、
鉄道やビル建設でがんばった。
今じゃパンをめぐんでもらうため
長い列に並ぶ始末。
なあ、ブラザー、
お前と俺は友達だろ、
10セント貸してくれ。」

 日本でも、小津安二郎の映画から、「大学は出たけれど」というのが流行語になっていたそうで、閉塞感は現代と共通しているように思えます。
 “Depression”には、「不況」と「絶望」、両方の意味がありますから、“I’m Thru with Love”は二重の意味で、”A Song of Great Depression”ですね!
<恋は終われど名演は続く>
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 “I’m Thru with Love”の作曲者J.Aリビングストンが、ポール・ホワイトマン楽団の専属アレンジャーであったことを考えると、恐らくは楽団のレパートリーであったのだろうと思います。そして楽団のスター歌手だったビング・クロスビーのブランズウィック盤が、’31年、ヒット・チャートの第三位にランクされています。
 クロスビーは、マイクの発達で、声を張り上げずにソフトに歌う「クルーナー唄法」のパイオニアですが、この頃はまだまだ、バンドシンガーらしい感じがします。ダンス・ミュージックで、露骨な「貧乏」感はないものの、「春にさよならを言おう。もう二度と恋はしない。」という男性の脱Love宣言は、時代が反映しているのかも。
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Evergreen_cover.JPG 寺井尚之が大好きなマット・デニスのヴァージョンは、クロスビーのヴァージョンが、もっと粋でモダンな雰囲気に磨き上げられています。25年の歳月を経た分、進化と発展があります。
 そして寺井尚之の『Evergreen』は、粋なマット・デニスに、バップの香りが更に加わった感じ!ビング・クロスビー、マリリン・モンロー、マット・デニスと、名作の系譜をずっと辿りながら、『Evergreen』を聴くと、楽しみが一層深まります。
 もうお聴きになりましたか?
CU

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