オーヴァーシーズ/トミー・フラナガン・トリオ(1)

わが心のOVERSEAS
前回まで、昔話が続きましたから、今回は皆の知っている名盤<OVERSEAS>の話をしましょうね。
講座の本「トミー・フラナガンの足跡を辿る」では第一巻の最終章に載っています。
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1957年、トミー・フラナガン(p)がウィルバー・リトル(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)と組んだピアノ・トリオ作品。
 私が『OVERSEAS』を買ったのは、関西大学軽音楽部に入学した翌日です。(あら、また昔話になっちゃった…)入部の際、面接とオーディションをした幹部の4回生は、プロのピアニストで、ちょっとカタギでないような感じの人でした。(入学した時に、私の身長目当てに熱心に勧誘して来た社交ダンス部の人たちに、『「軽音」の連中は、僕達とは違って不良ばっかりでクスリをやってるかもしれませんよ。』と脅かされていたのです。)ヒゲをたくわえ、譜面帳の入った大きな皮のトランクを持っており、夜になると、毎晩演奏に行くため、スーツを着てます。昨日まで高校生だった私から見れば、ものすごい大人のオジサンという感じでした。
 
 その先輩に「入部したかったら、これは買わんといかんで!」と言われ、即レコード屋さんに走って行きました。(聴くところによれば、この人は、同様の手口で何百枚ものOVERSEASを販売促進したらしい。)貧乏学生の私にとって、2000円以上するLPはものすごい高級品でした。私の買ったのはテイチク盤で、「第一期スイング・ジャーナル・ゴールドディスク」、チョコレートやクッキーの箱についている○○賞受賞!みたいな金色のリボンが印刷してあります。
 家に帰ってA面の針を降ろすと、部屋の空気が澄み渡るような気分になりました。なんだかよく判らないけど、力強く華やぎのあるイントロから“Relaxin’ at Camarillo”のテーマになだれ込む瞬間に、ジェット機で離陸するような浮揚感を体験した。B面はCamarilloと同じブルースだけど、対照的に重厚なベースのビートから始まる“Little Rock”からスタートし、ビリー・ホリディの歌ですでに知っていた“柳よ泣いておくれ”で針が止まります。Camarilloが難易度最高のパーカー・ブルースと知らなくても、ラストの曲がテイタムの十八番と知らなくても、大学の教室で勉強していたマティスやピカソと互角の、スカっとしたモダンな音楽やなあ…といっぺんで好きになり、以来、毎日日課のように聴きました。
 だから、CD時代も終焉に近いと言われる現在になっても、LPの印象が強いんです。
 
 以来何十年も、毎日聴いていますが、聴くたびに感動します。それを思うと安い買い物ですね。80年代に、人間としてのトミー・フラナガンに出会い、彼が歳とともに円熟を増し、病に苦しんでも、守りの姿勢に入らず進化した様子を生で聴いてきましたから、この27歳の時のアルバムを「フラナガン最高の名演」とは決して思いませんが、寺井尚之の言うように「初期の傑作」であることに間違いはありません。
  私にこのLPを買わせた寺井尚之にとっては、若い時、徹底的にコピーした音楽のルーツ、彼の人生を決定付けた一枚です。 余りに思い入れがあり、却ってジャズ講座で解説するのが、とっても難しかったのではないかと推測します。
 でも講座は文句なしに面白かった!これぞ寺井尚之!という醍醐味を堪能させてくれました。「ひいきの引き倒し」的な解説ではなく、理解を優先させたのは正解でした。なぜOVERSEASが何度聴いても飽きない名盤なのかを、色んな角度から分析して、スパっと教えてくれたからです。
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当時のボス、完璧主義者、J.J.ジョンソン(tb)
 寺井は音楽家の視点から、楽曲と演奏の構成を提示しながら、デトロイト・バップ・スタイルや、当時のこのトリオのボス、J.J.ジョンソン(tb)からの影響など、客観的な所見をわかり易く語ります。
 そして、録音前のフラナガンとビリー・ストレイホーンとの邂逅のエピソード、選曲についてのフラナガンの思い入れ、ストックホルムを襲った水害で水浸しになった直後の録音スタジオの状況など、<OVERSEAS>という名盤を創り上げる過程での様々なファクターが、トランプのカードをめくるように浮き彫りにされて行きます。物事は「それを好き」な人に訊くのが一番良いという見本の様な講座で、とってもわかり易かった。もっと知りたい人はジャズ講座の本第一巻を読んでみてください。
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 “OVERSEAS”(=海外)というのは、このトリオとボビー・ジャスパー(ts.fl)を擁するJ.J.ジョンソン(tb)・クインテットがスエーデンにツアーした際、当地ストックホルムで録音したことから命名されたタイトルです。そう言うとノリのよいジャズメンが、ツアー中の空き時間に、ひょいとスタジオに入り、“Yeah! Man”と場当たりに録音したやっつけ仕事と思われるかも知れませんが、講座の解説を聞くと、実際は全くそうでなかったことが、良く判りました。
 1957年当時、J.J.ジョンソン・クインテットはグリニッジ・ヴィレッジにあったジャズクラブ、<カフェ・ボヘミア>の常連コンボだったことを考えても、フラナガンが、録音レパートリーの構成や意図を共演者に伝える余裕は充分にあったはずです。
  フラナガンは、インタビューで、大昔に録音した『OVERSEAS』を「代表作」と呼ばれることに不快感を示したことがありますが、それは『OVERSEAS』以降のフラナガンの音楽に対する無知に対して怒っているのであって、決してこの作品を嫌っていた訳ではありません。
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 大阪滞在中、トミー・フラナガンがOverSeasでくつろぐ時も、しょっちゅう一緒に聴きました。そんな時、寺井はこの講座で話したようなことを、口角泡を飛ばし、とうとうと解説したものです。フラナガンは、ポーカーフェイスで、時々突っ込みを入れたり、洒落を入れたりしていたけど、鼻先から、嬉しそうに「フンッ」と息を出していたなあ… (つづく)

「オーヴァーシーズ/トミー・フラナガン・トリオ(1)」への2件のフィードバック

  1. 今の人には、皆そうなのかもしれませんが、Overseasやエクリプソ、レッドガーランドのGroovyを薦めるM先輩に対し、寺井さんは「あれらは初心者の聴くもんやないで。レッドガーランドのAt the preludeにしとき」、と言われました。それでOverseasを自分で買ったのはずいぶん後になりました。
     聴いたことのない曲ばかりのはずなのに、初めて聴いた感じがまったくせず不思議な感じでした。
     今では田舎住まいなもんで、あまり気軽にコンサートにも行けませんが、トリオのライブを何度も聴くことができたのは、私の一生の宝です。大阪でのOverSeasやキリンプラザで、東京に戻ってはキーストンコーナーや客席にエルヴィンジョーンズを迎えてのブルーノートで.......。
     そんな私は、もし派閥があるとするならムーズヴィル派です、理由は....。またメールします。
    ちょっといい話があります。

  2. WOW、サッシーだ!東京ブルーノートのフラナガン・ライブの客席で鮮やかな拍手と、イントロ曲名当てで、G先生を驚愕させ、キーストン・コーナーのTV映像では、後姿にオーラが溢れていました。
    ムラーツ共々、食生活でもお世話になります。
    「いい話」教えてくださるのを楽しみにしております!!

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