エラ・フィッツジェラルド礼賛

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若き日のエラ・フィッツジェラルド!
 新年明けましておめでとうございます!本年もJazz Club OverSeasをよろしくお願いします。
 年末年始のラッシュも一段落。K-1や時代劇の間も、これから数ヶ月間、ジャズ講座に登場するエラ・フィッツジェラルドとトミー・フラナガン・トリオが繰り広げる歌、歌、歌が私の頭の中で鳴っています。
 エラ・フィッツジェラルドは1917年(大正6年)生れ、どんな年かと言いますと、アメリカは第一次大戦に参戦、日本では松下幸之助が改良ソケットを販売し、「味の素」の会社が設立された年であるそうです。エラは子供のときからNYヨンカーズで一番ダンスの上手な女の子と言われており、17歳(一説には16歳)の時、ハーレムはアポロ劇場の名物「アマチュアナイト」つまり「素人名人会」にダンサーとして出場し、賞金を獲得しようとします。ところが、本番間際に、地元で評判のダンスデュオ、エドワーズ・シスターズがエントリーしているのを知り、到底勝ち目がないと判断したエラは、急遽ダンスを断念し歌で勝負することに作戦変更、結果見事優勝!賞金25ドル也を獲得し、歌手への道が大きく開けたのです。
 もし、その夜ダンスの強敵が出場していなければ、エラは、ダンサーとしての人生を歩み、この感動は得られなかったかもしれないんですから、エドワーズ姉妹さんには感謝したい!
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エラはチック・ウェッブ楽団の看板歌手となってから、サインしてもらうため筋向いのクラブに出演していたビリー・ホリディを幕間に訪問したという逸話がある。
 その後はトントン拍子、10代でビリー・ホリディと並ぶ最高のバンドシンガーとなり、エラの後見人であった天才ドラマー、名バンドリーダー、チック・ウエッブの死後彼の楽団を引き継ぎ、僅か22歳でバンドリーダーの看板を張ります。
 やがて第2次大戦が勃発し、ビッグバンド時代が終焉を迎えると、ノーマン・グランツの強力なマネージメントの元、エラはソロ歌手として独立、台頭するBeBopのエレメンツを完璧に吸収し、スキャットだけで歌うFlying Homeや、How High the Moon, Oh, Lady Be Goodなど、その後何十年間に渡ってヴァージョンアップを続けたオハコのレパートリーをどんどん開発し、後年フラナガンとのコラボ時代に再び大輪の花を咲かせます。
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ハリウッドのセレブ御用達の一流クラブ“モカンボ”の人種差別のバリアを破り、初の黒人歌手としてエラを出演させるよう掛け合ったエラの熱烈なサポーター、マリリン・モンローと。
 
 ソロ歌手へ転進したエラ・フィッツジェラルドが、’50-’60年代、Mr.Jazzと言われた最高のマネジャー、プロモーター、ノーマン・グランツと打ち立てた金字塔が一連のソング・ブック・シリーズです。グランツの立ち上げたレコード会社Verveで、入念なアレンジを施したフル・オーケストラをバックに、ガーシュイン、コール・ポーター、ハロルド・アーレンなど、アメリカが生んだポピュラー・ソング芸術を作家別に次々と録音、アルバム・ジャケットにはビュッフェやマティスの趣味の良いアートを惜しみなく使用し、素材も歌もしつらえも超一流のミュージアム・レベルで、好セールスを記録するという偉業を達成しました。その当時のレコーディングは、当然、同時録音で、現在の、歌とオケの別録りでは聴けない、有機的なサウンドは大きな文化遺産です。
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ガーシュイン・ソングブックのジャケットはベルナール・ビュッフェの作品で統一されている。
 ソングブックの連作に対し、トミー・フラナガンが参加しているエラのレコーディングは殆どが録音コストのかからないライブ盤です。一説によれば、トミー・フラナガンは、グランツの様な大物ボスに対しても、自分のほうから揉み手をして、こびへつらうタイプではなかった為に不興を買い、スタジオ録音の機会をなかなか与えられなかったとも言われています。
 とはいえ、トミー&エラのライブ盤を聴きながら、そこで歌われる即興の歌詞を一語一句聴き取り、対訳を作っていると、トミーをバックにしたエラの歌唱には、豪華なソングブックでは聴くことの出来ない「途方もない爆発力」にシビれてしまう。
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 エラは目を悪くする前の最盛期には、年間40週以上(!)仕事を取り、世界中を駆け回りました。ハード・スケジュールはエラ自身の意思であったと言います。長年、そのスケジュールに付き合ったフラナガンは「エラにとって喝采に勝るものなし…」とちょっぴり皮肉を込めて語っています。(Jazz Lives/Michel Ullman著)
 エラ・フィッツジェラルドの歌唱の摩訶不思議なところは、エリントンであろうが、バカラックであろうが、どの歌も、「紛れもなくエラ」でありながら、彼女の私生活の「臭い」というものが、まるで感じられないところです。
 例えばビリー・ホリディを聴くと、「レディ、あんたも男で苦労したものねえ。」と、彼女の私生活に心を馳せてしまいます。トニー・ベネットの力強い声を聴くと彼の描く水彩画を思い出したり、美空ひばりを聴くと家族関係を想ったり、フランク・シナトラの洒落た歌いまわしを聴くと、「この録音の後はどこの店で遊んだんだろう?」とか…マイルス・デイヴィスなら、「この曲は、あのカスれ声で何か指示を出したのかしら?」とか…ファンは余計な事に思いを馳せつつ聴くのが楽しみなものです。
 だけど、エラは違う!エラの歌を聴いていると、歌にしか集中できなくなる。エラの実体はステージの上だけで、それ以外はかげろうのような抜け殻でも、全然不思議じゃないとさえ思う。…だけど、そう思わせるのが、真のスターなのかも知れません。
 
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’64年カンヌでのステージ、エラが登場する前の演奏、トミー、ロイ・エルドリッジ(tp)、ビル・ヤンシー(b)ガス・ジョンソン(ds)客席左端は、女優ソフィア・ローレンらしい。写真をクリックするとちょっとわかります。(写真提供;藤岡靖洋氏)
 
 加えてライブ盤では、エラの中に強力な充電池が存在しているのがはっきりと判る!聴衆の大歓声や熱い“気”を、胎内に取り込み、歌唱のエネルギーに変換して発散する。それにまたお客さんが反応してエネルギーを返す。その作用を繰り返すから、まるで「神が降りてきた」としか言いようのない凄い状況になる。多分、これは、ごく一部のミュージシャンにしか起らない化学反応です。私も、OverSeasでトミー・フラナガン、ジョージ・ムラーツ、サー・ローランド・ハナ、そしてモンティ・アレキサンダーのコンサートで同様の超常現象を目の当たりにしました。
 エラの場合、もう一枚、トミー・フラナガンが加わると、その充電能力がより増幅されて、パチパチと不思議な火花を散らすのを感じるのです。そうダイアナ・フラナガンに言うと、ダイアナは「余り拡大解釈しちゃダメよ。トミーは伴奏の仕事を粛々といしていただけなのよ。エラは叩き上げのバンドシンガーなんだから、トミーでなくたって、ちゃんとショウを作れるの!」とブレーキをかけます。でも、レコードを聴いてごらんよ!フラナガンが絶賛するエリス・ラーキンスや、名手ルー・レヴィー、ポール・スミス、コンビで売ったジョー・パス(g)、どの名演を聴いても、フラナガンがバックに回った時に立ち上る、チカチカとした、あの不思議な火花は見えないのです。そう言い返すと、ダイアナは妙に納得していた。
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 エラはJ.J.ジョンソン(tb)のように「ミスのない」名手ではありません。来週聴くエラのライブ録音の中には、明らかに体調不良と判るものがあります。エラはマドンナのようにコンサートをドタキャンするようなことはしないのだ!
 それどころか、歌詞やアレンジのミスもする!ピンチになるとスキャットの引用フレーズでHere’s That Rainy Day(まさかの事態になっちゃったわ)とか、Misty(私を見てよ、キュー出しするから)と歌いまくり、堂々とブロックサインでバックに状況説明して、土俵際をうっちゃる!これはすごい!歌詞を忘れるというのも、その時期の流行歌をどんどん取り込むためで、バーブラ・ストライザンドがたまにコンサートをする時、プロンプターにかじりついて歌詞を間違えずに済むというのと、土台レベルが違うのです。そんな場合にフラナガンが出す助け舟がまた凄い。007の秘密兵器のように最高の手際でエラを支えて復活させる。
 
 どんなジャズの解説書を見ても、エラ・フィッツジェラルドの最高傑作はソングブック・シリーズであると書かれています。しかしエラの最高にハジけた歌唱が聴けるのは、なんと言ってもトミー・フラナガンとの共演盤にとどめを指すのです。
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エラのおハコで、しかめつらしいクラシック音楽家が登場するユーモラスな歌、『Mr.パガニーニ』で彼女はこう歌ってる。
“パガニーニさん、
もうケチるのはイイ加減にしてよ。
あんたの奥の手は何なのさ?
さあさあ、ハジけてみなさいよ。
ハジけないなら、
せめてスイングしなさいよ!”

新年のジャズ講座は1月12日(土)6pm開講。CU

「エラ・フィッツジェラルド礼賛」への6件のフィードバック

  1. あけましておめでとうございます。
    いつもブログを楽しみにしてます。グランツって「トミー・フラナガンの音楽を楽しむ人間が3000人もいるならどうして彼らにそれを聴かせてやらないんだ?」とセールス・マネジャーに言った人と思ってたのに。
    人にはいろいろな面があるかとは思いますが。今年も様々なことを教えてください。

  2.  山中湖石井様、新年初コメント、どうもありがとうございます!
     グランツさんは、社長ですから、平社員には、それなりにキビしかったという話は漏れ聞きます。
     でも、その役員会の話は本当であると信じたい!

  3. はじめまして。
    なんとマリリンさまがエラの大サポーターとは知りませんでしたぁあああ!!
    こいつは春から縁起がいいです。
    ピアフとマリーネデートリッヒの友情を想起させます。

  4. ジバゴさま、はじめまして!初コメントありがとうございました。
     エラとマリリンの逸話は、ブロードウエイでお芝居になっているそうです。エラの大ファン、マリリンは、人種の壁がある一流クラブ“モカンボ”のオーナーに、「もしエラを出演させてくれたら、私が一週間最前列のテーブルを予約して、毎晩彼女を聴きに来る。」と言って、初めての黒人歌手の出演を可能にしたそうです。
     大スターが毎晩最前列に陣取るので、マスコミやファンで札止めになり“モカンボ”も商売繁盛、当然エラのキャリアも、大きくクラスアップしたそうです。
     それにしても、モンローさんは、スクリーンの姿は、演技で作り上げたもので、本当は知的で、曲がったことが嫌いな、良い気性の女性だったのですねえ。

  5. マリリンとエラの友情を知るにつれいろんなサイトを巡ってみますと知る人は知っているということが分かりました。
    でも、初めてこの写真を観たときのインパクトほど絶大なものはありません。
    ほんとうにいい写真です。
    マリリンがエラの歌をバックに流れます。
    http://www.youtube.com/watch?v=68hsmRt7MzU

  6. ジバゴさま、とっても素敵なサイト教えてくださってありがとうございます!!ゴージャス!!いいオンナ!エラも最高、バンドも最高、ハリー・エジソン最高!
    マリリンの歌も、エラのちょっとしたいいところを、それと判らないようにうまく取り入れていて大好きです。

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