セロニアス・モンク
お正月休みは実家で母親と共に、TVやヴィデオで歌舞伎三昧、花道を進む役者のあでやかな姿を見ると、トミー・フラナガンや寺井尚之が愛奏するブルース、“ザ・コン・マン The Con Man”の威勢の良いテーマを思い出す。名盤、Beyond The Bluebird(’90)で、この曲が聴けます。
この曲を初めて聴いたのは’80年代後半、NYの<スイート・ベイジル>というクラブ、トミー・フラナガンがMCしたけれど“The Con Man”の意味が判らず、後で「“カンメン(乾麺?)”って何ですか?」と尋ねたら、トミーは「コン・アーティストのことや。??わからんかなあ(ため息)…コンフィデンシャル・マン、信用サギ師のことや。」と教えてくれたのです。
ふーん、サギ師=The Con Manか…ヘンなタイトル…
最近になってやっとCon Man であることが、ジャズや“芸術”を“判った”気持ちにさせてくれる重要なテクニックであるとじわじわ気が付いてきました。
昨年の秋、お店から帰ってきて、夜更けにセロニアス・モンク・カルテット(チャーリー・ラウズ ts、ラリー・ゲールズ b. ベン・ライリー ds)のヴィデオを観ながら、寺井尚之と晩酌していた時のことです。WOWOWで放映されていたものですが、『Jazz Icons』というDVDシリーズをそのまま流していたようです。’66年、オスロと、コペンハーゲンでの2本のTV用の映像とありました。
オスロでの映像のモンクはソフト帽とダークスーツ姿、右手の小指には、宝石か?ガラス玉か?重たそうなピンキーリングが!寺井尚之なら弾きにくいと言って腕時計すらはめないのに、すごく大きな指輪です。それが鍵盤上をゴロゴロと転がりながら、モノクロ画面に怪しい光をビカビカ放つ。さすがはBeBop界のベスト・ドレッサー!音楽とファッションがトータルなものになっている。
Youtubeに同じ映像の一部を発見。かっこいい足の動きはここでは見れないけど、ダンパーの動きが見れます。
ピアノから長い足がはみ出る大男モンク!大きな右足で強烈にカウントを取りながら、ガンガンスイングしている。
かつてトミー・フラナガンはモンクのプレイについてこう語った。
「地下のクラブへと階段を降りると、ベースソロが聴こえてくるとする。ピアノの音は全く漏れ聴こえていない。それでも、今夜はモンクだな!と判る。それがモンク・ミュージックというものなんだ。」
そのとおりにメンバー全員がモンクのカリスマに取り込まれ、完全にモンクのパーツ化している。モンクはレコードより絶対映像ですね!もう一杯!思わず酒量も上がるというものです。
ところが、寺井尚之がこの映像を観ながら「おおーっ!?」とびっくりして座布団を投げそうになった場面が…。 オスロのTV映像は、バンドの全景やモンク自身を横から捉えた映像と、正面からモンクの表情を捉えたものと、二つのアングルで構成されているのですが、サイドからモンクを撮影している間は、モンクの足はせわしなくステップを踏み、絶対にペダルを踏まない。つまり既成のピアノ奏法を無視したワイルドなプレイに徹してます。
ちなみにトミー・フラナガンやハンク・ジョーンズはペダル使いの名手で、ピアノの響きを自由自在に操ります。ピアニストは指使いだけでなく、ペダルの使い方も技量が必要で、色々個性が出るものです。
モンクの足を撮影するサイドからのカメラアングルでは、ペダルなんて、まるで関係ないようにプレイしていたモンク…しかし…なんてこった!カメラ・アングルが正面からになると、ダンパーがせわになく上下してるやんか!ピアノは、右のペダルを踏むと、このダンパーが上下してピアノの響きを調節する仕組みになってるのです。つまりモンクは足が映らない時だけペダルを使っていたというわけ。TVの画面に向かって、酔っ払いの私は野次った。ヘイ、コン・マン!
赤い矢印の黒いかまぼこの列みたいなのがダンパー。
モンクといえば、以前病気療養中に、セロニアス・モンクの伝記『セロニアス・モンク―生涯と作品』(トマス・フィッタリング著・勁草書房)の翻訳を、少しお手伝いしたことがあります。
モンクはエラ・フィッツジェラルドと同じく1917年生まれ、NYハーレムに育ちました。ハーレム・ストライドという超絶技巧のピアノ・スタイルが隆盛の時代、ハーレムにはウィリー“ザ・ライオン”スミス、ジェームス・P・ジョンソンと言った名手がワンサカいたといいます。
「必要は発明の母」:ピアノで名を成すにしても、到底テクニックでは勝負できない、どないしょう…というところからあのユニークな奏法を編み出したのか…
でもセロニアス・モンクの頭は並ではなかった。ケニー・クラーク(ds)、パーカー=ガレスピー、メアリー・ルー・ウィリアムズ(p)達と切磋琢磨して新しい和声を編み出し、ジャズにBeBop革命を起こした。いつの世も、時代の先を行くアートは世間になかなか受け容れられない。おまけに黒人ミュージシャンは、いくら優れていても白人社会にはなかなか認められない。
モンクは、高度な理論を持つBeBopを、お客さんたちがリディアン・セブンスとかオルタードなんて言葉を知らなくても、この音楽のかっこよさを感じてもらえるように、特注のサングラスやスーツ、ベレー帽やチャイナ・キャップでかっこよく身を飾り、目で見ても判るようにしてくれた人でもあります。
オスロでの映像も、明らかにそんなモンクのタヌキっぽい策略が感じられてすごく楽しい。オレオレ詐欺や上方のランドマークであった高級料亭の偽装はまっぴらですが、こんなサギなら喜んで騙されたいね!
モンクは、ファッションやプレイばかりか、禅問答まがいの不可解な言葉や深遠なる曲名で、マスコミや共演者までも煙に巻いた。反面、素顔のモンクは、特に尊敬するデューク・エリントンやコールマン・ホーキンスなど先輩ミュージシャンに対しては、全く普通の人であったという証言が多い。でも、やがて、音楽的に行き詰るにつれ、モンクは本当に精神を病み、音楽活動も喋ることも止めてしまう。モンクが頭に描くBeBopの理想を、そのままピアノで表現してくれたモンクの弟子、というか分身であったバド・パウエルと同じように。
バド・パウエルが脳を病んだのは、警官に警棒で殴打されそうになったモンクをかばい、身代わりになった為と一説には言われている。モンクは、パウエルのことが生涯心に付きまとっていたのだろうか?
左:モンク、右:バド・パウエル ’64
かつて“ファイブ・スポット”で半年間セロニアス・モンク・カルテットの幕間ピアニストを務めたサー・ローランド・ハナ(p)は「モンクの曲は大好きだが、プレイは余り好きではない。」と言って、わざとアクの強いケレンで武装するプレイを決してよしとしなかった。
モンクはプレイだけでなく、その作品も、筍やうどの春野菜のように精気と共にアクが一杯だ。他のミュージシャンが演奏する時も、わざとモンクっぽいフレーズを使ってアクの強いプレイをすることが多い。でも、トミー・フラナガンのアルバム、“Thelonica”で聴くモンクの作品群は、どれも、不要なアクや渋皮が取り去られて、モンク作品が本来持つみずみずしくピュアな、本当の味わいを出している。フラナガンという人は、音楽や人間の本質を鋭く見極める稀有な才能の持ち主だったのだ、といつも思う。
フラナガン自身は、NYに出てきた当時モンク家の近所だったので、パウエルよりモンクの方がずっと親しみの持てる人だったと言っていた。
カーメン・マクレエは名盤“Carmen Sings Monk”のMonk’s Dreamでこんな風に歌っています。
私が夢見た人生は
純粋で真実ひとすじ。
私が夢見た職業は、
私だけが出来る仕事。
ひとりの男とチームを組み、
求める道へ突き進む。
だけどそれは夢。
真実一路、
そうすればひと財産。
闘い抜いて前進し、
決して嘘はつかぬこと。
そうすれば名声は
この手に入ると思っていた。
…
だけど夢で終わったよ。
(了)
こんばんは。
つまりカメラが足元を写しているときはわざとノンペダル奏法をして、写してないときにペダルを踏んでいたということですね。
バド・パウエルはノンペダルだったがエバンスがペダル奏法をジャズピアノに取り入れた最初の人だとか読んだことがあったのですがまた認識を新たにしました。
ジバゴさま、いっらっしゃいませ!
バド・パウエルがノンペダル奏法であったというのは、ガセネタです!
ジャズ界では、エヴァンスのずっと前からペダル奏法は常識です。アート・テイタムやテディ・ウイルソン、アール・ハインズなどペダル使いの上手な人を一度聴いてみてくださいね!ハンク・ジョーンズもエヴァンスよりずっと年上です。