トリビュート・コンサートの前に、スプリング・ソングスの話をしよう!(1)

 恒例、「トミー・フラナガンに捧ぐ」=春のトリビュート・コンサートがいよいよ来週に迫りました。
 寺井尚之は、他の仕事を極端にセーブし、フラナガンの演目を磨くために一日中ピアノの前。私は本番はハードだから、なるべくスタミナが付くように、香辛料たっぷりのジューシーなスペアリブやカツレツを作ってます。春の野菜と一緒に供すると、日頃あっさり和食が好きなピアニストも、この時期はおいしいと言って食べてくれる。
  何故、春にトリビュートをするかというと、トミー・フラナガンの誕生日が3月16日だから。年2回のトリビュートは、ダイアナ未亡人の要望でもあります。仏教では命日から数えて法事をするけど、西洋では「生誕○年」と誕生日から数えるんですね。先週の誕生日には、ダイアナ未亡人から電話がかかってきて、「ヒサユキに私からハグを!しっかり演奏するように!」と激を飛ばされました。
scrap_from_the_apple.JPG  私の<ヴィレッジ・ヴォイス>スクラップブックは、新聞紙の色が風化してます。
  この時期に欠かせないのが『スプリング・ソングス』とトミーが呼んだ春にちなむ一連の曲。’80年代後半から、フラナガンは、毎年春になると、地元NYのジャズ・クラブにトリオで出演するローテーションを組んでいた。この時期のギグは世界中から出演交渉にやって来るプロデューサー達と、夏期のジャズフェスティバル・シーズンの仕事について交渉するショーケースであったのです。出演場所は、移り変わりの激しいクラブ・シーンで、その時期、最も隆盛でソリッドなプレイを聴かすクラブ、<ヴィレッジ・ヴァンガード>、<ファット・チューズデイズ>、<スイート・ベイジル>、<イリディアム>など、店は年によって色々でした。私達は’91年の4月、<スイート・ベイジル>で、2週間の出演中、ほぼ全セットを聴き、スプリングソングを味わえて幸せだった。
sweetbasil-1.JPGスイート・ベイジルにて。
   NYの春、昼間はポカポカ陽気で、レストランやカフェはどこも屋外にテーブルを出して、街の人々は半袖姿、でも日没後は4月でも毛皮のコートが要るほど寒かった。
    ダイアナは、自分達のアパートから少し南に降りたリンカーン・センターの向かいにある、こじんまりした『エンパイア・ホテル』(左の写真)を予約してくれ、近所の行きつけのレストランも何軒か教えてくれた。車社会のアメリカで、トミーとダイアナにはマイカーがなかったから(それどころか、アパートには食器洗い機も、携帯電話のない頃にミュージシャンが仕事を取るのに必携のファックスすらなかった。)ハイヤーで店に出勤する途中で、私たちをピックアップしてくれた。ミッドタウンからダウンタウンまで、ずーっと皆で歌を歌いながら行くこともあったなあ。
   トリオの中で、毎晩、若手のルイス・ナッシュ(ds)が一番先に店に入って、きちっとセッティングを終えている。当時のジョージ・ムラーツ(b)はクイーンズの自宅から、釣竿やバケツと一緒にイタリア製のベースを積んだスズキのセルボでマイカー通勤していた。
   フラナガン3は、通常1週間で出し物が変わるジャズ・クラブで、異例の2週間の連続出演と決まっていた。トップ・ピアノ・トリオの出演に、他店もビッグスターをぶつける。この時期、<ヴィレッジ・ヴァンガード>はマッコイ・タイナー3、<コンドンズ>ではテイラーズ・ウエイラーズと、最高のラインナップだったけど、他店に行く余裕はありませんでした。
   2週間の間に、フラナガンのレパートリーは、一定することなく、毎晩目まぐるしく変わった。バド・パウエル、エリントニア、モンク・チューン、サド・ジョーンズ…そして、さまざまなメドレー、2週間で、のべ100曲は演ったように記憶してます。ある晩演奏したビリー・ストレイホーンの晩年の名曲、<ブラッドカウント>が余りに素晴らしく、滞在中、街中のピアニストの間でずっと話題になっていた。殆ど固定の演目で通す期間もあるのだけど、毎晩、五線紙を鉛筆を持ちながら必死で聴きこむ寺井尚之に、トミーはありったけのレパートリーを聴かしてやろうと思ったのではないかと思う。
 
   そんな中で、毎夜、一曲か二曲必ず演奏するのが、スプリング・ソングだったのです。フラナガンは必ず、「では、スプリング・ソングを一曲」と言ってからおもむろに演る。軽やかなプレイは、新緑のように爽やかで、春野菜のように精気に溢れていながら、アクが抜けていた。決して、ラスト・チューンにするような大ネタではないのだけど、忘れられないNYの思い出だ。
 この時期にフラナガンが演ったスプリング・ソングは、ビリー・ホリディのおハコ、<Some Other Spring>そして<Spring Is Here>、そして、フラナガン・ファンなら、名盤『Ballads & Blues』での名演が忘れられない<They Say It’s Spring>だ。
最初の2曲は、ふきのとうみたいに、ほろ苦い春の歌。
 
<サム・アザー・スプリング>は、テディ・ウイルソンの妻であったアイリーン・ウイルソン、後のアイリーン・キッチングスが作曲した。もう一つのホリデーのおハコ、<グッドモーニング・ハートエイク>を作曲したアイリーン・ヒギンボサムと同じ人だとずっと思っていたのですが、アイラ・ギトラー達が別人であると証言しているいます。知らなかった…
 ピアニスト、作編曲家のアイリーンはテディより年上で、先に名声を獲得していて、夫の出世に大いに貢献した。ところがテディは自分が有名になると、妻を捨て他の女性と駆け落ちしてしまう。傷心のアイリーンは、ある日、レストランで、離婚の嘆きを親友達に聞いて貰っていた。奇しくも、悩みの聞き役は、フラナガンの崇拝するビリー・ホリディ(vo)とコールマン・ホーキンス(ts)だった。その時、テーブル脇のエアコンがブンブン言う音にインスピレーションを得て、この歌が出来あがったと言われている。まあ、天才というのは、凡人にとって非音楽的極まりないものも、名曲の元にしてしまうものなんですね。真っ暗な絶望の中で、小さな小さな希望がほのかに光る、稀有な名歌はテディ・ウイルソンの裏切りのおかげ(?)で生まれたのだった。

<サム・アザー・スプリング>

Irene Kitchings(写真):曲 / Arthur Herzog Jr.:詞
いつか春が来たら、
また恋でもしてみよう、
今は終わりと知りながら、
枯れそうな花に惨めたらしく
しがみつく。
咲き誇ったその途端、
踏みつけにされた花は、
私の恋と同じ。
いつか春が来て、
黄昏が夜に変るとき
新しい恋人に出会えるかしら?
もしもそうなら、
あなたのような人でないように、
「恋は盲目」と言うけれど、
もう私には通用しない。
暖かい日光が降り注いでも、
氷のように凍てつくこの心、
恋よ、お前は一度、
私を救ってくれたけど、
新しい物語は
始まるのかしら?
いつか春が来たなら、
私の心も目覚めるの?
そして、恋の魔法の音楽を
熱く歌えるようになるかしら?
昔のデュエットを忘れ、
新しい恋人と出会うかしら?
いつか、春が来たら。

 <Spring Is Here>は、私のお気に入り、リチャード・ロジャーズ=ロレンツ・ハート作品で、春というのに、失恋に沈む気持ちを、浮揚感のあるメロディに託すバラードです。エヴァンス派が好んで演奏するスタンダードで、リッチー・バイラーク(p)を擁するジョージ・ムラーツ・カルテットがOverSeasで演奏してくれたことがある。
 上の2曲と違って、NYの洒落っ気溢れる春らしい歌が、<They Say It’s Spring>、ブロッサム・ディアリーのキュートな歌唱を聴いてレパートリーにしたとトミーが言っていました。
 ああ…また長くなっちゃった。極めつけのスプリング・ソング、<They Say It’s Spring>のことは来週の前半にお話しましょう。
CU
 

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