NYベーシスト、YAS竹田のこと:

摩天楼からダウンタウンまで。
 Yas Takeda (1960-)
  NYで活躍する日本人ミュージシャンは星の数ほど多い!中でも、OverSeasで一番人気はYas竹田! その昔、OverSeasがボンベイビルにあった頃、Yasは下駄履きのバンカラ大学生、寺井尚之の元で、“イエスタデイズ”のポール・チェンバース・ヴァージョン(Bass On Top)や、オスカー・ペティフォードの“トリクロティズム”などを繰り返し稽古していた。余り何度も聴かされるので、お店のコックさんはすっかり、ジャズ・ベーシストのオリジナル曲の権威になっちゃった。現在東京で活躍するテナーの三木俊雄さんが、その頃、後輩として竹田君をしょっちゅう聴きに来ていたのを覚えています。
 卒業後は迷わずプロの道に進み、寺井の推薦で、日本を代表するハードバップ・ピアニスト、故田村翼(たむらよく)さんのレギュラーに抜擢されて一躍注目されました。だって、二十歳そこそこの駆け出しのベーシストが、「厳しい」ことで評判の田村さんと演らせてもらえるだけでも凄いことでした。田村さんのバンドでは「3日でクビ」になるのは、珍しいことではなく、3ヶ月レギュラーとして一緒に出来たのは快挙だったのです。田村さんはOverSeasでも何度もプレイして下さったので、私も、瞬間湯沸かし器のように共演者に激怒される様子を何度か目にしました。自分に厳しい人だったから、人にも厳しかったのだろうと思います。日常の田村さんは、寺井の良き先輩で、私のような者にも丁寧に接してくださった。業界人っぽい調子よさのないシャイな方だった。
 Rifftideに連載中の、Yasが語る田村翼さんの思い出は、正直な語り口で読み応えがあります。
「考えてみれば田村さんとお付き合いできたのはわずかの間でしたが、僕の音楽生活には大きな影響を与えたのは間違いありません。 田村さんに少しでも恩返したいと思って、かなり時間をかけて思い出して、あの文章を書きました。」:Yas竹田談
jordanall.JPGデューク・ジョーダンと…左から4人目が若き日のYAS(’82)
 Yasは田村さんの所を離れてからも、関西一円で活躍、’88年に、NYニュー・スクールの特待生として渡米してからは、ジョージ・ムラーツ(b)、セシル・マクビー(b)、ジミー・ヒース(ts)、サー・ローランド・ハナ(p)など錚々たる巨匠に師事。卒業後、ブルックリンで家庭を持ち、20年間プロ活動を続けています。共演者は、同窓のブラッド・メルドー(p)や大西順子(p)をはじめ、巨匠ルイス・ヘイズ(ds)や、ジャッキー・バイアード(p)etc… NYにしっかり根を下ろすジャズマンです。息子さんが幼い時は里帰りを兼ね、ほぼ毎年OverSeasで帰国ライブを催し、人気を博していました。
 彼のベースは、メロディやオブリガートで聴かせるOverSeasで主流のムラーツ・スタイルとは違い、バキバキした骨太のランニングで音楽にパルスを送り込む、堅牢なベース・スタイル。帰国ライブのたびに、いかにもNYらしい洗練されたベース・ラインに魅了されました。
 演奏の傍らOverSeasNY駐在員としては、貴重な現地ライブレポートを送ってくれたり、ジャズクラブ案内も!トミー・フラナガン愛好会初め、マンハッタンで彼にお世話になった常連さん&スタッフ多数!ところが、ここ2年ほどすっかりご無沙汰で、全国から「竹田さんはどないしてはりますか?」と各方面からお問い合わせを頂いてました。
ファンの皆さん、彼は40肩ではありますが、NYで沢山ギグを抱えて、元気にベースを弾いてますのでご安心ください!
<摩天楼のYAS竹田>

 11月15日付けのNEW YORK POST(スポニチや東スポ的強力見出しを誇るタブロイド誌:スポーツ、ゴシップ欄だけでなく、文化欄も結構充実。)にミッドタウンの名所、ロックフェラー・プラザのGEビルの65階にある高級レストラン、「レインボー・ルーム」の特集記事が組まれています。
 タイトルは『星とダンスを:伝説のスター達、レインボー・ルーム:虹の彼方に…』素敵ですね!「レインボー・ルーム」の創業が、75年前の大恐慌の真っ只中ということで記事になったようです。
 歴代大統領、マフィアの大ボス、大富豪やスター達が集う豪華なお店、Yas竹田は、ここにレギュラー出演している。
 記事にはYASの所属するJoe Battaglia楽団のリーダー、ジョー・バッタグリアさんのインタビューも掲載。
「一曲1000$という破格のチップも珍しくなかったが、現在はチップは頂かない方針」だとか…惜しかったね、YASちゃん!

   マフィアの大ボスが「注文する前から、100$のチップをポンと置いた。」とか、「20$そこそこのカクテル一杯にチップが$250」とか、さすが高級レストランに相応しい景気の良い話が満載! 私も、お金持ちになることが万が一あれば、和服を着てこんなボールルームに行ってみたい!そして、チップじゃなくて、ポチ袋に入れたご祝儀を、藤山寛美さんのように皆に配ろう!
記事のバンド写真は凄く小さいけど、ベースを弾くYasの姿が映っている。
<ダウンタウンのYAS竹田>
Yas_Takeda_at_Garage_Restaurant.jpg
 ミッドタウンからずーっとミナミに下って、グリニッジ・ヴィレッジにも、Yasの活動場所があります。クリストファー・ストリートにある「ガラージ」というカジュアルなジャズ・レストランのサイトにも、上のようにYasの写真が!このお店ではLou Caputoというサックス奏者のグループに所属。(Not So BigBandとか書いてあるのがおもしろい!) 何でも、「ジャズ・アネクドーツ」や「さよならバードランド」の著者として有名なベーシスト、ビル・クロウのトラとして、ずっと演奏しているそうです。
 他にも、NYの街の色々な場所で「手堅い中堅ベーシスト」として活躍しているYas竹田、円高のご利益を満喫しに、年末NYに行かれる方は、ぜひともCheck it!
 私の弟と同い年のYas竹田、弟とと同じように、昔は憎たらしい生意気な奴と思っていたけど、今はとにかく、家族皆で達者で暮らしてしていて欲しい。いつか再びOverSeasの帰国ライブで円熟したプレイが聴きたいものです。
CU

「NYベーシスト、YAS竹田のこと:」への2件のフィードバック

  1. 三木俊雄氏は、私が在学中よく同じスペースで練習していました。いつも「練習頑張ってね、はやく彼女作ってね。」とやさしい言葉をかけてくださったことを楽しく思い出します。(私が三木氏の言いつけで守ったことは唯一はやく結婚してしまったことだけですが...)
    あと竹田さんが梅田駅で落っことしたという楽器もいまだに私が持っています。本来なら後輩に譲るべきだったのでしょうか、後輩に弦バス志望者がいなかったもので東京にもって来てしまいました。(関大の軽音で現在弦バス志望の方、もし見てらっしゃいましたらこの楽器の権利はあなたにあります。只ではないですが)。
    それともうひとつ、今やっているゴスペルのクワイア(ママさんコーラス)のピアノの子は田村翼さんの孫弟子らしいです。後藤先生のブログで知ったのですがなんだか不思議な感じがしました。

  2.  クレモナのベース、まだ持ってるんですね!偉大なるミルト・ヒントンさんは、若い時の経験から、腕が上がって自分のベースを変えるようになったら返しなさいと、ベースを買うお金のないベーシストに、自分の所蔵ベースを無料で貸していたそうです。
     サッシーも、またOverSeasの欠番、ナシメントを聴かせてくれる日が来ますように!

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