ウエスとフラナガンをつなぐピアニスト

 10月の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」で聴いた『The Incredible Jazz Guitar』、寺井尚之ならではの音楽の道案内で、この大名盤が示すプレイヤー達の心のやりとりを、皆で楽しみました。

  エロール・ガーナー同様、「譜面の読めない」天才と謳われたウエス・モンゴメリー、でもこのアルバムの”Mr. Walker”はウェスのオリジナルで、しかも細かい仕掛けが細部に施されている。本当は読譜力があるのではないか?と、前々から寺井尚之は疑問を投げかけてていました。

 ところが、寺井への答えは意外にも、最近ネットで公開された1994年のラジオ・インタビューの中にありました。共演作についての談話でなく、「子供の時のお気に入りピアニスト」を語るうちに、ポロリと落ちた言葉の中に答えがあった!こういうところがフラナガンらしい・・・

<アール・ヴァン・ライパーというピアニスト>

graystone-earlvanriper-300x300.jpg Earl Van Riper (1922-2002)

 少年時代(12-13才)のフラナガンは、ラジオやレコードでアート・テイタム、ナット・キング・コール、テディ・ウイルソンを夢中になって聴いていた。時はビバップ以前、豊穣なデトロイトの街にも名ピアニストは多くいて、中でも感動した地元の2大ピアニスト、一人はウィリー・アンダーソン、キング・コールばりの洒落たテイストと完璧なテクニックで、ベニー・グッドマン楽団に誘われたほどの名手でしたが、文盲であることを恥じて、終生地元に留まった。そしてもう一人が上のアール・ヴァン・ライパーという人。

フラナガン:「もう一人、近所に住んでいたEarl Van Riperも素晴らしいピアニストだった。すっきりした芸風で、よりテディ・ウイルソン的で明快なスタイルだった。彼は、やがてクーティ・ウィリアムズやR & B系のクリーンヘッド・ヴィンソンの楽団に入り街を出て、インディアナポリスに落ち着いた。 ウエスの初期の演目は彼が譜面にしたんだろう。ウエスは譜面の読み書きをせず、他の誰かに採譜させて、共演者に渡していたんだ。だから彼が初めてNYにやって来た時も、ちゃんと譜面を持ってきた。あのレコーディング(『The Incredible Jazz Guitar』)に参加できたのは幸運だった。それにしても、この世界は狭いね。生まれて初めて生で真近に見たピアニスト、正真正銘のプロ、Earl Van Riperが譜面を書いていたんだから・・・」

 子供時代の憧れのピアニストが採譜した譜面を元にウエスと初共演したフラナガン、その感慨はどれほど深いものだったでしょう!

incredible20090917155711ca5.jpg このアルバムをプロデュースしたオリン・キープニュースの著書『The View from Within』の中には、このレコーディングの経緯が詳しく書かれています。キープニュースのアドヴァイザーだったキャノンボール・アダレイがインディアナポリスから帰ってくるなり、「どえらいギター弾きが居るから一刻も早く契約しなくちゃ!」と興奮して駆け込んできた。キープニュースは数日後、現地に趣き録音の契約を取り付け、大急ぎでアルバム制作のお膳立てしたそうです。一方NYでは、評判高いウエスがやって来たら、ジャムセッションでボカボカにしてやろうと、腕利き達が手くすね引いて待っていた。でも、ウエスは極端なほど自分の腕を過小評価していて、謙遜深く丁寧な人間だったので、皆の戦闘意欲が萎えてしまうほどだったとか…

 フラナガンとウエスをつなぐピアニスト、Earl Van Riperについて調べてみると、’89年代のヴィデオ・インタビューがYoutubeにありました。

 編集がされていないので、70才のライパーさんの話は、話が前後に飛んで何度も聞き直さなければなりませんでしたが、なんと「日本から帰ってきたばかり・・・」とおっしゃていました。1989年、日本のどこで演っていたんでしょう?ご存じの方、教えてください。

 50分近い彼の話によれば、音楽教師の母の元できっちりとした音楽教育を受けたライパー、最初は演奏よりも読譜力に優れ、ブルースからビバップまで、実に様々人たちと仕事をした。ダイナ・ワシントンの伴奏者を経て、インディアナポリスに9年ほど居住する間にウエス・モンゴメリーやその兄弟達と共演。ところが、デューク・エリントン楽団で歌いたいという歌手志望の白人美女に利用され、彼女の夫に脅されて、ウエスのバンドを辞めなければならなくなった。

 そしてウエスについては、やはりエロール・ガーナー同様、忘我の状態でただただ演奏するという神がかりなものだった。一緒に演っているうちに、そのやり方を自然に会得したように思う、と語っています。でも、彼がウエスのレパートリーを採譜したということははっきり名言していませんが、ウエスのために、バンド全体のコードを整えることに努力し、「バンドのアレンジを置いていくから私が辞めてもなんとかなるだろう。」と言い残して辞めたと発言しています。「ウエスの譜面を自分が書いた」と言わないのは、この時代のプロとしての礼節なのかも知れません。

 このEarl Van Riperの演奏は、最近Resonance Recordsが復刻したインディアナポリス時代の初期ウェスの未発表ライブ『Echoes of Indiana Avenue』に収録されています。このアルバム、夏に来店されたお友達のプロデューサー、Zev Feldmanさんが送ってきてくれたものだったので一層不思議なご縁を感じました。

 トミー・フラナガンの言ったとおり。それにしても、この世界は狭いね!

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Wes Montgomery/Echoes of Indiana Avenue

 

 

 

 誰も言わない名盤の本当の醍醐味、寺井尚之の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は毎月第ニ土曜6:30pmより開催、どうぞOverSeasに来てください!

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